歴史・人物

本能寺の移転と旧地

別の表記・呼び方本応寺

本能寺の旧地と現在地を対比した挿絵。左に堀と石垣に囲まれ焼けた瓦が散る戦国時代の寺の区画、右に寺町通沿いの現在の本堂と本瓦葺きの屋根、間を碁盤目の通りがつなぎ、小さな人物が石碑のそばに立っている。

要点

  1. 本能寺の変(1582年)の舞台は、今の寺町御池の本能寺ではない

  2. 旧地の石碑は2つとも蛸薬師通の南にあるが、寺域は通りの北側だった

  3. 現在地への移転は豊臣秀吉の命による

  4. 2007年の発掘で、堀と石垣で囲まれた城のような寺の姿が分かった

1582年の本能寺があった場所

現在の本能寺は、寺町通と御池通の角の南、京都市役所の向かいにあります。ところが、天正10年(1582年)6月2日の早朝、明智光秀が滞在中の織田信長を襲い、信長が自害した「本能寺の変」が起きたのは、ここではありません。

当時の本能寺は、北を六角小路(今の六角通)、南を四条坊門小路(今の蛸薬師通)、東を西洞院大路(西洞院通)、西を油小路(油小路通)に囲まれた区画にありました。今の寺から見ると、地図の上で西へ1キロあまり離れた、堀川通の少し東側です。

本能寺の旧地と現在地の位置関係

京都の碁盤目の通り。本能寺の変当時の旧地の区画を朱色で塗り、寺町通と御池通の角の南に現在の本能寺を朱色の点で示す。左上に二条城の点。

創建から本能寺の変までの移転

本能寺は法華宗本門流の大本山です。寺伝では、応永22年(1415年)に日隆(にちりゅう)が油小路高辻と五条坊門(今の仏光寺通)の間に寺を開き、本応寺と名づけたのが始まりです。寺は応永25年(1418年)に破却され、永享元年(1429年)に小袖屋宗句(こそでやそうく)の援助で、内野(今の西陣あたり)に再建されました。

永享5年(1433年)、六角大宮(四条坊門大宮とも)に広い寺地を得て移り、このとき本能寺と改称しました。天文5年(1536年)の天文法華の乱で焼失して寺は堺へ移り、天文14年(1545年)ごろ、伏見宮出身の日承(にっしょう)が四条西洞院の地、つまり「本能寺の変」の舞台となる区画に再建しました。

寺名の「能」の字は、右側の「ヒ」二つを「去」に替えた字で書くのが寺の慣わしで、たびたび火災に遭ったため「ヒ(火)」が重なるのを嫌ったと伝わります。

秀吉の命で移った今の寺地

本能寺の変で焼けたあと、寺は同じ場所での再建を試みましたが、豊臣秀吉の命で鴨川村と呼ばれた今の寺町御池へ移されます。市中の寺院を寺町に集めた秀吉の都市改造の一環です。旧地の石碑には、天正17年(1589年)の上棟式の当日に移転を命じられ、僧たちが声をあげて泣いたと刻まれています。移転の年には1589年、天正19年(1591年)、天正20年(1592年)の3つの説があります。

移転後も火災は続きました。天明8年(1788年)の天明の大火で焼失し、天保11年(1840年)に再建されましたが、元治元年(1864年)の禁門の変に伴う「どんどん焼け」で再び焼失しました。今の本堂は昭和3年(1928年)の再建です。

旧地に立つ2つの石碑

旧地には石碑が2つあります。一つは中京区油小路通蛸薬師下る東側、本能特別養護老人ホームの前に立つ「本能寺跡」の碑で、平成6年(1994年)に本能寺が建てました。横長の碑で、西面に寺の沿革を記した「本寺跡記」が刻まれています。もう一つは蛸薬師通小川の西南角に立つ「此附近 本能寺址」の石標で、大正4年(1915年)に京都市教育会が建てた細い石柱です。

2つの石碑はどちらも蛸薬師通の南側に立っていますが、2002年に旧本能小学校跡地で行われた発掘で下京の惣構(そうがまえ)の堀が見つかり、寺域は蛸薬師通より北にあったことが確かめられました。石碑は「この付近」を示す目印です。町名「元本能寺南町」「元本能寺町」や学区名「本能」も本能寺にちなみます。

りょうがわちょう両側町

2007年の発掘で見えた「城」のような寺

2007年の夏から冬にかけて、旧地で3回の発掘調査が行われ、本能寺の建物跡が初めて見つかりました。西洞院通に面した東部では、北から西へL字に折れ曲がる堀と、その西側に積まれた石垣が見つかり、境内の内部も堀で区画されていたことが分かりました。堀の埋め土からは、龍などを表した鬼瓦や寺の名を記した軒丸瓦、赤く変色した瓦が出土し、本能寺の変で焼け落ちた瓦を捨てたものと推定されています。

中央部の北西寄りでは礎石を据えた穴が3つ並んで見つかりました。南東の隅では蛸薬師通の北側で幅2メートル以上、深さ1メートル以上の堀が見つかり、本能寺の南堀とみられます。周囲を堀で囲み、内部も堀と石垣で区切った姿は寺というより城に近く、調査報告でも「本能寺城跡」の名が使われています。

本能寺と旧地の碑への行き方

現在の本能寺は中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522にあります。地下鉄東西線の京都市役所前駅からすぐ、京阪三条駅から西へ徒歩5分、市バス「河原町三条」停のそばです。境内は午前6時から午後5時まで拝観無料です。信長ゆかりの品が見られる大寶殿宝物館は午前9時から午後5時(入館は4時30分まで)で、一般700円、中・高校生500円、小学生300円、年末年始と展示替えの日は休館です(2026年10月時点)。駐車場はありません。

旧地の2つの石碑は、市バス「四条西洞院」停から約300メートル、阪急烏丸駅からは西へ徒歩10分ほどで、道路に面しているのでいつでも見られます。二条城からは堀川通を南へ下って蛸薬師通で東へ折れるとすぐで、旧地から現在地へは地下鉄東西線の二条城前駅から京都市役所前駅まで乗り換えなしで行けます。

この項目のミニクイズ

  1. 1582年の本能寺の変で、明智光秀に襲われて自害した武将は?

  2. 本能寺では、寺名の「能」の字を、右側の「ヒ」二つを「去」に替えた字で書くのが慣わしです。その理由として伝わるのは?

  3. 大正4年(1915年)、蛸薬師通小川の西南角に細い石柱の「此附近 本能寺址」の石標を建てたのは?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月17日

更新日:2026年10月17日

  1. 本能寺「本能寺について」
  2. 本能寺「参拝と交通」
  3. 本能寺「境内のご案内」
  4. 京都市「いしぶみデータベース NA149 本能寺跡」
  5. 京都市「いしぶみデータベース NA054 本能寺址」
  6. 京都市中京区役所「中京区の学区の紹介 本能学区」
  7. 京都市埋蔵文化財研究所「『本能寺の変』を調査する(第204回京都市考古資料館文化財講座)」
  8. 京都市埋蔵文化財研究所「発掘調査報告 2007-11 平安京左京四条二坊十五町跡・本能寺城跡」
  9. 京都市埋蔵文化財研究所「リーフレット京都 No.230 発掘成果をふりかえって2007」
  10. 京都市「都市史25 蛤御門の変とどんどん焼け」
  11. 京都市観光協会「本能寺」
  12. 京都市観光協会「本能寺跡」
辞典トップへ戻る