歴史・人物

蛤御門

別の表記・呼び方新在家御門・蛤門

烏丸通に面した京都御苑の蛤御門。本瓦葺きの四脚門を正面から見た構図で、門の奥に御苑の緑と松、手前の歩道を小さな親子が歩いている。

要点

  1. 京都御苑の外周9門のうち、西の烏丸通に並ぶ3門の真ん中

  2. 名の由来とされる大火より前の1677年の古地図に、開いた「蛤門」が描かれている

  3. 1864年の禁門の変で、長州藩と会津・薩摩などの軍が戦った激戦地

  4. 今の位置は明治の大内保存事業で移されたもの

正式名は新在家御門

京都御苑は京都御所を取り巻く国民公園で、北は今出川通、西は烏丸通、南は丸太町通、東は寺町通に囲まれています。外周には9つの門があり、蛤御門は西側の烏丸通に面した3つの門の真ん中にあたります。

正式には新在家御門といい、蛤御門は通称です。本瓦葺(ほんがわらぶき)の四脚門(しきゃくもん)で、門をくぐるとすぐ御苑の緑が広がります。江戸時代、このあたりは御所を囲んで140以上の宮家や公家の屋敷が並ぶ公家町でした。

京都御苑の9つの門の位置

京都御苑の輪郭と外周の9つの門の位置。西辺中央の蛤御門を赤で強調し、中央に京都御所を描いている。

名の由来と1677年の古地図

よく伝わる由来は、「ふだん閉ざされていたこの門が、御所に火が及んだ大火のときに開かれたので、焼けて口を開く蛤にたとえて蛤御門と呼ばれるようになった」というものです。ただし、その大火がいつかは説明が分かれます。宝永5年(1708年)の宝永の大火とする説明と、天明8年(1788年)の天明の大火とする説明があります。

さらに2016年5月、京都産業大学日本文化研究所の研究員が、延宝5年(1677年)に作られた古地図「新改内裏之図」に、すでに「蛤門」の名で、しかも開いた状態の門が描かれていることを発表しました。元禄7年(1694年)ごろの記録や宝永4年(1707年)の公家の日記にも蛤門の名が見えます。宝永の大火より前から蛤門の名があり、門も開いていた可能性を示す発見です。

禁門の変(1864年)の激戦地

元治元年(1864年)7月19日、前年の八月十八日の政変で京都を追われていた長州藩は、勢力の回復をねらって三家老が兵を率いて上洛し、会津・薩摩・幕府の連合軍と、御所(今の京都御苑)の蛤御門・堺町御門付近で戦いました。長州藩は敗北し、この戦いは禁門の変、蛤御門の変、元治甲子(げんじかっし)の変とも呼ばれます。

蛤御門では守っていた会津藩が後退し、乾御門を守っていた薩摩藩の兵が駆けつけて激戦になりました。長州の指揮官・来島又兵衛(きじままたべえ)はこの戦いで討ち死にし、鷹司邸内では久坂玄瑞(くさかげんずい)も亡くなりました。

戦いは一日で終わりましたが、長州藩邸や堺町御門から出た火は市中に広がり、「どんどん焼け」と呼ばれる大火になりました。北は丸太町通、南は七条通、東は寺町、西は東堀川まで、約800か町、2万7千世帯が罹災しています。

梁の弾痕と明治の移設

蛤御門の風化した梁(はり)には、禁門の変のときの銃弾の跡が今も残っています。扉にも弾痕が残るとされます。

今の蛤御門は、江戸時代の位置とは少し違います。明治10年(1877年)から始まった大内保存事業では、公家屋敷の撤去とともに外周の土塁の築造、道路の新設、御門の移設が行われ、工事は予定を繰り上げて明治16年(1883年)に完了しました。御苑の外周の九門はこの事業で今の位置に移されたもので、江戸時代末の蛤御門は、外周の内側に南向きで建っていました。

その後も門は修繕が重ねられ、昭和39年(1964年)には清和院御門とともに修繕に着手しています。幕末の門がそのままの形で残っているわけではありません。

京都御苑の9つの門

京都御苑の9つの門(位置と最寄り駅の目安)

門の名前面する通り位置の目安最寄り駅の目安
乾御門(いぬいごもん)烏丸通(北西の角)烏丸通の北端近く。門を入って北側に児童公園地下鉄今出川駅
今出川御門今出川通(北)北辺の中央やや西。桂宮邸跡の西地下鉄今出川駅
石薬師御門(いしやくしごもん)今出川通(北東の角)寺町通との角近く京阪出町柳駅(徒歩約20分)
中立売御門(なかだちうりごもん)烏丸通(西)西辺の北寄り。中立売休憩所と駐車場、御所参観の受付に最も近い地下鉄今出川駅
蛤御門(はまぐりごもん)烏丸通(西)西辺の中央地下鉄丸太町駅・今出川駅
下立売御門(しもだちうりごもん)烏丸通(西)西辺の南寄り。出水の小川の西地下鉄丸太町駅
堺町御門(さかいまちごもん)丸太町通(南)南辺の中央。建礼門へまっすぐ道が延びる地下鉄丸太町駅
寺町御門寺町通(東)東辺の南寄り。仙洞御所の南東京阪神宮丸太町駅(徒歩約15分)
清和院御門(せいわいんごもん)寺町通(東)東辺の中央。京都迎賓館の南、清和院駐車場のそば京阪神宮丸太町駅・出町柳駅

烏丸通の門から禁門の変の跡をめぐる

蛤御門は市バス「烏丸下長者町」停のすぐ北です。地下鉄烏丸線なら丸太町駅(1番出口)と今出川駅(3番出口)のどちらからも御苑まで徒歩約5分で、蛤御門は両駅の中ほどにあるので、烏丸通を5〜7分ほど歩くと着きます。

京都御苑は毎日24時間、無料で入れます(2026年10月時点)。閑院宮邸跡収納展示館は入場無料で、月曜(祝日の場合は開館)と年末年始を除いて開いています。茶室の拾翠亭は木・金・土曜に有料で公開され、高校生以上は300円です。乾御門のそばには児童公園、中立売御門の内側には休憩所とトイレがあります。

禁門の変の跡をたどるなら、蛤御門から御苑の中へ入り、来島又兵衛の戦死地跡(蛤御門から徒歩約2分)、鷹司邸跡、堺町御門の順に歩くと、戦いの舞台をひと回りできます。

この項目のミニクイズ

  1. 京都御苑の「蛤御門」の名の由来として伝わるのは?

  2. 禁門の変で討ち死にし、蛤御門から徒歩約2分の御苑内に戦死地跡がある長州の指揮官は?

  3. 蛤御門の名は、大火のときにふだん閉じていた門が開いたことに由来すると伝わります。2016年に発表された、この名が宝永の大火(1708年)より前からあったことを示す根拠は?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月17日

更新日:2026年10月17日

  1. 環境省「京都御苑 歴史」
  2. 環境省「京都御苑 施設利用・入苑案内」
  3. 環境省「京都御苑 アクセス」
  4. 環境省「京都御苑 よくあるご質問」
  5. 環境省「国民公園 京都御苑 散策マップ」
  6. 環境省京都御苑管理事務所「京都御苑 関係年表(明治時代〜現在)」
  7. 京都市「都市史25 蛤御門の変とどんどん焼け」
  8. 京都産業大学「蛤御門の名称は宝永の大火(1708年)以前から使われていた」(共同通信PRワイヤー、2016年5月26日)
  9. 国民公園協会京都御苑「明治150年記念 禁門の変」
  10. 観光庁 多言語解説文データベース「蛤御門」(環境省京都御苑管理事務所)
  11. 京都市観光協会「龍馬・幕末 京都御所界わい」
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