歴史・人物

京都御所と里内裏

緑の芝と松の広い御苑の中に、檜皮葺の屋根の御所の建物と築地塀が見え、手前の芝生で親子が遊んでいる様子の挿絵

要点

  1. 平安京の内裏は千本丸太町付近の大内裏の中にあり、現在の御所から約2km西

  2. 再建と焼失を繰り返した内裏に代わり、里内裏の一つが今の御所になった

  3. 今の建物は1855年(安政2年)の再建。紫宸殿・清涼殿は平安時代の様式を伝える

  4. 御所は宮内庁、御苑は環境省と、管理する役所が違う

平安京の内裏は千本丸太町にあった

794年(延暦13年)に桓武天皇が定めた平安京では、天皇の住まいである内裏(だいり)は、大極殿(だいごくでん)などの国家的な施設や役所とともに「大内裏(だいだいり、平安宮)」と呼ばれる四角い区域の中にありました。大内裏は千本丸太町にあった大極殿を中心に造られ、内裏はその中央やや東寄り、今の千本通から智恵光院通の間の出水通・下立売通あたりにありました。外郭の築地塀と内郭の回廊の二重構造で囲まれ、内郭に紫宸殿(ししんでん)や『源氏物語』に登場する弘徽殿(こきでん)などの殿舎が並んでいました。

現在の京都御所はここから約2km東にあります。上京区の内裏跡には紫宸殿跡や清涼殿跡などの石碑や説明板が集まり、史跡に指定された内郭回廊跡もあります。

平安京の大内裏(内裏)と現在の京都御所の位置関係

上が北。左に千本通を中心とした平安京の大内裏の四角い区域とその中の内裏、右に烏丸通と寺町通の間の京都御苑と御所が描かれ、内裏から御所へ東向きの矢印がある。

内裏の焼失と里内裏

平安遷都とともに造られた内裏は、960年(天徳4年)に初めて火事で焼け、その後も再建と焼失を18回繰り返しました。そのたびに天皇は京中の貴族の邸宅に移り、主に摂関家の邸宅が一時的な皇居になりました。これが「里内裏」です。しだいに天皇が平安宮の内裏を使わなくなり、1227年(安貞元年)の火災を最後に、もとの場所に内裏が再建されることはありませんでした。

平安宮の跡は室町時代まで儀式の場として使われましたが、一帯には「内野(うちの)」と呼ばれる空き地が広がり、のちに豊臣秀吉がその一角に聚楽第を築きました。

豊臣秀吉の京都改造と聚楽第

土御門東洞院殿が御所になるまで

現在の京都御所は、里内裏のひとつであった土御門東洞院殿(東洞院土御門殿とも)に由来します。1331年(元弘元年)、光厳(こうごん)天皇がここで即位して以来この地が御所となり、1392年(明徳3年)の南北朝合一によって皇居に定まりました。以後、1869年(明治2年)に明治天皇が東京へ移られるまで、約500年間にわたり天皇の住まいでした。

当初は小規模でしたが次第に拡張され、江戸時代には徳川幕府によって8回建て直され、うち6回は火災によるものです。1788年(天明8年)の天明の大火でも御所は焼け、1790年(寛政2年)に造営された寛政度内裏では、紫宸殿・清涼殿・飛香舎(ひぎょうしゃ)などに平安時代の古い様式が復興されました。この内裏も1854年(嘉永7年)に火災に遭い、翌1855年(安政2年)に寛政度内裏をほぼそのままの形で再建したのが、現在の京都御所です。紫宸殿と清涼殿は木造檜皮葺(ひわだぶき)の平屋です。

大内保存事業と国民公園の京都御苑

御所のまわりには、秀吉や徳川の時代に宮家や公家の屋敷が集められ、宝永の大火(1708年)のあとには入りまじっていた民家も移されて、大小140以上の屋敷が並ぶ公家町が形づくられました。1864年(元治元年)の禁門の変では、この公家町の西側にある蛤御門付近が戦場になっています。

1869年の東京遷幸で多くの公家が東京に移ると、公家町は急速に荒れました。1877年(明治10年)に京都へ行幸した明治天皇はその様子を深く悲しまれ、京都府に御所の保存と旧観維持の御沙汰を下します。京都府は「大内保存事業」を始めて1883年(明治16年)に完了し、同年9月に管理は宮内省へ引き継がれました。戦後の1947年(昭和22年)の閣議決定を経て、1949年(昭和24年)から国民公園として広く開放されました。

宝永の大火と「新」の付く通り

京都御苑と京都御所の公開

京都御所は築地塀に囲まれた、天皇の住まいだった区域で、宮内庁が管理しています。京都御苑は御所を含む公園全体で、環境省が管理しています。

京都御苑は上京区京都御苑3にあり、東西約700m・南北約1,300m、面積約65haの公園で、毎日24時間、無料で入れます。地下鉄烏丸線の丸太町駅または市バス烏丸丸太町が近く、御所の参観受付を行う宮内庁京都事務所へは今出川駅(徒歩約5分)が便利です。苑内北西部には児童公園、北東部の「母と子の森」には本を読める「森の文庫」、西側の南寄りにある「出水の小川」では水遊びができ、テニスコートやグラウンドもあります。御苑の門は9つあり、蛤御門は烏丸通に面しています。

京都御所は事前申込不要・無料の通年公開です。清所門(せいしょもん)から入り、公開時間は4〜8月が9時〜17時(入場は16時20分まで)、9月と3月が9時〜16時30分(同15時50分まで)、10〜2月が9時〜16時(同15時20分まで)です。休止日は月曜(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日と行事の日です(2026年10月時点)。順路では紫宸殿、清涼殿、小御所、御学問所、御池庭(おいけにわ)、御常御殿(おつねごてん)などを見られます。1946年(昭和21年)から続く春と秋の「特別公開 宮廷文化の紹介」では、障壁画などの展示や蹴鞠・雅楽の実演もあります。

この項目のミニクイズ

  1. 平安時代、内裏がたびたび焼けたときに使われた「里内裏(さとだいり)」とは、どんなもの?

  2. 江戸時代、京都御所のまわりの公家町には、宮家や公家の屋敷が大小あわせていくつ以上並んでいた?

  3. 1877年(明治10年)、荒れた公家町の様子を悲しんだ明治天皇の御沙汰を受けて、京都府が始めた事業は?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月17日

更新日:2026年10月17日

  1. 環境省 京都御苑「京都御苑の歴史」
  2. 環境省 京都御苑「京都御苑の概要」
  3. 環境省 京都御苑「よくあるご質問」
  4. 環境省「京都御苑」
  5. 宮内庁「参観ご希望の方へ(皇居・京都御所・離宮参観)」
  6. 宮内庁「京都御所[施設案内]」
  7. 宮内庁 京都御所「参観要領」
  8. 宮内庁 京都御所「内裏変遷」
  9. 宮内庁「《京都》御所と離宮の栞 其の六 京都御所略史」
  10. 宮内庁 京都御所「紫宸殿」
  11. 宮内庁 京都御所「清涼殿」
  12. 宮内庁 京都御所「京都御所の展示年表」
  13. 京都市・京都市埋蔵文化財研究所「京都歴史散策マップ1 平安宮跡」
  14. 京都市文化財保護課「京都市内の埋蔵文化財 発掘調査速報 No.017 平安宮内裏内郭廻廊跡の発掘調査」
  15. 京都市「都市史03 条坊制」
  16. 京都市「都市史23 宝永の大火」
  17. 京都市「都市史24 天明の大火」
  18. 京都市「都市史25 蛤御門の変とどんどん焼け」
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