よみこが
久我
別の表記・呼び方古我・木賀

要点
読みは「こが」。久我で始まる町は6つで、久我本町だけ「こがほんまち」と読む
桂川の右岸にあり、南に羽束師が続く。その先の桂川の対岸に淀・納所がある
村上源氏の嫡流・久我家の名は、この地の邸宅にちなむ
久我神社の森は古くから「久我の杜(こがのもり)」と呼ばれてきた
読み方と「久我」で始まる6つの町
久我は「こが」と読みます。漢字の音からは「くが」と読みたくなりますが、伏見区の地名としては「こが」です。市バス18系統の時刻表でも、行き先の「久我石原町」は「Koga Ishiharacho」とローマ字で書かれています(2026年3月改正時点)。
伏見区には「久我」で始まる町が6つあり、中学校はどの町も神川中学校の通学区です。読みはほとんどが「こが〇〇ちょう」ですが、久我本町だけは「こがほんまち」と「まち」で読みます。久我東町・久我西出町・久我森の宮町は、番地によって通う小学校が分かれます。
「久我」で始まる伏見区の町名
| 町名 | 読み | 小学校区 |
|---|---|---|
| 久我東町 | こがあずまちょう | 番地によって久我の杜・神川に分かれる |
| 久我石原町 | こがいしはらちょう | 神川 |
| 久我御旅町 | こがおたびちょう | 神川 |
| 久我西出町 | こがにしでちょう | 番地によって久我の杜・羽束師に分かれる |
| 久我本町 | こがほんまち | 神川 |
| 久我森の宮町 | こがもりのみやちょう | 番地によって久我の杜・神川に分かれる |
どこにある?桂川の右岸、羽束師の北
久我は伏見区の西部、桂川の右岸(西側)に広がる地域です。南には羽束師(はづかし)があり、その先、桂川の対岸(東側)に淀・納所(のうそ)があります。久我本町からは久我橋が桂川を東へ渡っています。
桂川の流れは、明治中期から昭和初期にかけての河川改修で変わり、鴨川との合流点も南へ移りました。今の地図では久我の町は川の西側にありますが、もとの久我村の区域は桂川の左岸(東側)にもありました。久我橋の北東、左岸にある京都市消防活動総合センターの所在地は、平成29年(2017年)の資料で「伏見区久我石原町ほか」でした。
桂川の右岸に並ぶ久我と羽束師
名前の由来:地名を名乗った公家・久我家
久我の地は古くから開かれ、久我・久我の杜・羽束師の地域では4世紀以降に開墾が進み、集落ができはじめたといわれます。久我は「古我」「木賀」とも書かれました。
公家の久我家(こがけ)は村上源氏の嫡流で、清華家の一つです。源雅実(みなもとのまさざね)が京都南郊の久我に邸宅を構えて「久我太政大臣」と呼ばれ、のちに家祖と仰がれたことから、家名を久我としました。地名が先にあり、家がその名を名乗った形です。
この地には12世紀初めに久我家の別荘「久我水閣」があり、山城国乙訓郡の久我荘は久我家の名字の地となる荘園でした。12世紀の末に源(久我)通親(みちちか)の所領となったのち、荘は上庄と下庄に分かれ、都に近い農村として豊かになりました。
平安京の朱雀大路の延長にあたる「鳥羽作り道」と、古代の山崎の駅(宿駅)を北東から南西へ結んだ直線道路は、久我畷(こがなわて)と呼ばれます。平安京造営のころに造られたと推定され、文献では『徒然草』に初めて現れます。応仁元年(1467年)には、山名氏と細川氏がこの道で戦いました。
久我の杜と誕生寺、菱妻神社
久我森の宮町の久我神社は、社伝では長岡京遷都のときに守護神としてまつられたのが始まりとされます。境内の森は昔から「久我の杜(こがのもり)」の名で知られ、神社のほうも「森の明神」と呼ばれました。境内のクスノキは高さ25メートル、幹周6.3メートルあり、伏見区の区民の誇りの木に選ばれています。地域の小学校の名前も「久我の杜」です。
久我本町の誕生寺は久我家の屋敷跡で、道元が久我通親の子としてここで生まれたと伝えられています。境内のイチョウは高さ23メートルあります。久我石原町の菱妻神社は12世紀の創建と伝わり、鎮火の神として信仰を集めたといわれ、今は学問・運筆のご利益があるとされます。
この項目のミニクイズ
村上源氏の嫡流である公家・久我家。その家名は何にちなむ?
出典・確認情報
内容確認日:2026年11月8日
更新日:2026年11月8日
