歴史・人物

新選組と壬生

別の表記・呼び方壬生浪士組

壬生の町を俯瞰した挿絵。坊城通に面した長屋門つきの郷士屋敷と、南隣の寺の境内で木刀を構える小さな隊士たち、池の中の島に立つ胸像と墓石、浅葱色の段だら模様の羽織が干された庇。

要点

  1. 3月説の拠りどころは八木家の門柱の表札、8月説は8月18日の政変の功で武家伝奏から賜った名とする古文書

  2. 八木邸は江戸後期の長屋門と主屋が残る京都市指定有形文化財

  3. 壬生寺の壬生塚に、近藤勇の胸像と芹沢鴨ら隊士11人の墓がある

  4. 屯所は壬生から西本願寺、不動堂村と移り、不動堂村には半年ほどしかいなかった

浪士組の上洛と壬生村の宿所

文久3年(1863年)、江戸幕府は浪人を集めて「浪士組(ろうしぐみ)」を作りました。将軍上洛の警護の名目で、募集50人に234人が集まって「三百人組」とも呼ばれ、近藤勇(こんどういさみ)・土方歳三・芹沢鴨(せりざわかも)もいました。一行は2月23日に京都へ入り、洛西の壬生村で郷士(ごうし)の八木家・前川家などに分かれて泊まりました。

発案者の清河八郎(きよかわはちろう)は壬生の新徳寺(しんとくじ)に主だった者を集め、この京都で尊王攘夷(そんのうじょうい)を行うと演説します。幕府は浪士組を江戸へ呼び戻しましたが、近藤・芹沢らは京都に残り、京都守護職の会津藩主・松平容保(かたもり)の預かりとして「壬生浪士組」「会津藩御預浪士組」を名乗り、市中の見回りに当たりました。

「新選組」の名と芹沢鴨の暗殺

新選組の名の始まりには3月説と8月説があります。3月説は八木家に伝わるもので、文久3年3月16日に門柱へ「松平肥後守御領新選組宿」の表札を掲げた日を誕生日とし、壬生寺も結成を文久3年3月としています。8月説は古文書によるもので、文久3年8月18日の政変で会津藩の要請を受けて出動した功労により武家伝奏(ぶけてんそう)から賜った名とし、それまでは壬生浪士組などと呼ばれていました。

同年9月18日の深夜、八木家の奥座敷で局長の芹沢鴨と平山五郎ら4人が斬られました。近藤勇・土方歳三らによる暗殺でした。

壬生の史跡

壬生寺の表門(正門)前を南北に通る坊城通(ぼうじょうどおり)沿いに、屯所だった八木邸と前川邸が今も残ります。八木邸は長屋門が文化元年(1804年)、主屋が文化6年(1809年)の建物で、幕末の遺構として昭和58年(1983年)6月1日に京都市指定有形文化財になりました。

壬生寺の境内は隊士の調練場として使われ、武芸や大砲の訓練が行われました。沖田総司が境内で子どもたちと遊んだ、隊士が壬生狂言(みぶきょうげん)を見た、という逸話もあります。壬生狂言は円覚上人が始めた仮面の無言劇で、寺伝では正安2年(1300年)の法会がその始まりです。昭和51年(1976年)に国の重要無形民俗文化財になり、春・秋・節分に公演があります。

壬生周辺の新選組ゆかりの場所

壬生周辺の略図。上に東西の四条通、その下に綾小路通。右に南北の大宮通、その左に坊城通。四条通と大宮通の交点に阪急大宮駅・嵐電四条大宮駅、四条通と坊城通の交点に市バス壬生寺道停。坊城通の西側に北から八木邸、壬生寺、東側に綾小路通の南東角の旧前川邸(八木邸の向かい)とその南の新徳寺。綾小路通の北側、大宮通寄りに光縁寺。

壬生の新選組ゆかりの史跡(2026年10月時点)

名前何があるか公開・料金
八木邸(中京区壬生梛ノ宮町24)最初の屯所。芹沢鴨が暗殺された奥座敷と、そのときの刀傷と伝わる鴨居(かもい)9時〜17時(受付16時まで)。大人・中高生1,100円(ガイドの説明と抹茶・屯所餅つき)、小人800円。見学のみは中高生600円・小人300円
旧前川邸(中京区壬生賀陽御所町49)屯所の一つ。池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問が土蔵で行われ、山南敬助が切腹したとされる主屋は非公開。土日祝に東の蔵(有料)と土間の売店を公開
壬生寺(中京区壬生梛ノ宮町31)隊士の墓所・壬生塚と、阿弥陀堂の地階の歴史資料室境内は無料。壬生塚と歴史資料室は阿弥陀堂の参拝料(大人400円、小・中・高校生200円、9時〜16時)
新徳寺(中京区壬生賀陽御所町48)浪士組の清河八郎が演説した寺通常は非公開。2023年夏の「京の夏の旅」で初めて特別公開
光縁寺(下京区綾小路大宮西入四条大宮町37)門前近くに新選組の馬小屋があった浄土宗の寺。住職の良誉と山南敬助の縁で隊士が葬られた墓参できる(9時〜17時)

壬生塚の胸像と墓

壬生塚は壬生寺の境内東側、池の中の島にある隊士の墓所です。近藤勇の胸像と遺髪塔、芹沢鴨と平山五郎の墓、勘定方の河合耆三郎(かわいきさぶろう)の墓、池田屋事件で亡くなった隊士を含む7人の合祀墓などがあり、祀られる隊士は11人です。胸像は昭和46年(1971年)に俳優の上田吉二郎が建てたもので、壬生寺が池田屋事件の日と定める毎年7月16日に胸像の前で慰霊供養祭が営まれます。

西本願寺と不動堂村の屯所

慶応元年(1865年)、隊士が130人を超えて壬生が手狭になると、屯所は西本願寺の太鼓楼と北集会所のあたりへ移りました。寺側は入居を止めようとしましたが押し切られ、隊士は境内で大砲を撃つなどしました。

慶応3年(1867年)6月15日、西本願寺が提供した葛野郡不動堂村(ふどうどうむら、今の下京区油小路通塩小路あたり)の土地に新築された屯所へ移ります。しかし同年12月の王政復古で半年ほどで離れ、翌年1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れて関東へ下りました。屯所の正確な位置は分かっておらず、下京区西洞院通塩小路下るに2009年に建てられた「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」の碑と、油小路通塩小路下るのホテル前の碑が目印です。

「新選組発祥の地」の石碑

八木邸の前には石碑が2つあります。昭和6年(1931年)7月に京都市教育会が建てた「新選組遺蹟」の細い石標と、平成12年(2000年)に八木家15代当主の八木喜久間が建てた「新選組屯所遺蹟」の碑です。八木家はこの屋敷を「新選組発祥の地 壬生屯所旧跡」と呼んでいます。

八木邸・壬生寺への行き方

壬生は四条大宮の交差点から西へ歩いた一帯です。阪急京都線の大宮駅、嵐電(京福電鉄)の四条大宮駅から四条通を西へ進み、坊城通を南へ入ると八木邸・壬生寺まで徒歩約10分。市バス「壬生寺道」停からは坊城通を南へ、八木邸は徒歩1分、壬生寺は約3分です。JR嵯峨野線の丹波口駅からは千本通を北へ徒歩約12分です。光縁寺は市バス「四条大宮」停から徒歩3分です。

この項目のミニクイズ

  1. 新選組の屯所が移った順番として正しいのは?

  2. 八木邸の前に立つ「新選組遺蹟」の細い石標(1931年建立)を建てたのは?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月18日

更新日:2026年10月18日

  1. 壬生寺「新選組」
  2. 壬生寺「境内のご案内」
  3. 壬生寺「壬生寺の歴史」
  4. 壬生寺「壬生狂言」
  5. 壬生寺「アクセス」
  6. 八木家「八木家と新選組」
  7. 八木家「新選組 壬生屯所旧跡」
  8. 八木家「八木家の歴史」
  9. 八木家「拝観のご案内」
  10. 京都市「いしぶみデータベース NA070 新選組遺蹟」
  11. 京都市「いしぶみデータベース NA107 新選組屯所遺蹟」
  12. 京都市「いしぶみデータベース SI067 新選組洛中最後の屋敷跡」
  13. 京都市文化市民局「大政奉還150周年記念プロジェクト 幕末コラム 第2回 浪士組から新選組(木村幸比古)」
  14. 京都府立京都学・歴彩館「総合資料館収蔵品展 古文書 『新選組』の名称」
  15. 京都市観光協会 京都観光Navi「龍馬ゆかりの地 二条城〜壬生界わい」
  16. 京都市観光協会 京都観光Navi「龍馬ゆかりの地 西本願寺太鼓楼・新選組不動堂村屯所跡ほか」
  17. 京都市観光協会 京都観光Navi「壬生寺」
  18. 京都市観光協会 京都観光Navi「光縁寺」
  19. 京都市埋蔵文化財研究所「第265回京都市考古資料館文化財講座 世界遺産を掘る 第7回 西本願寺」
  20. 京都市・京都市観光協会「第48回『京の夏の旅』キャンペーン開催について(令和5年6月1日)」
  21. 京都市中京区役所「中京区の学区の紹介 朱雀第三学区」
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