歴史・人物

坂本龍馬と京都

幕末の京都の町と東山を描いた和紙コラージュ風の挿絵。手前に格子のある木造二階建ての町家が並ぶ細い通りと、角に立つ細長い石碑、浅い水路にかかる小さな石橋。奥には川をはさんで東山の山並みがあり、松の斜面に石段と小さな墓石が並ぶ。袴にブーツ姿の小さな人物が通りを歩いている。

要点

  1. 犯人には諸説あったが、元見廻組の今井信郎が明治3年に関与を供述し、見廻組説が有力に

  2. 近江屋跡の碑の近く、河原町・木屋町には土佐藩邸跡や中岡の寓居跡の碑も集まる

  3. 龍馬が投宿し海援隊の屯所とした酢屋は、享保6年(1721年)創業の材木商で、子孫が商いを続ける

  4. 龍馬と中岡の墓は東山の京都霊山護国神社にあり、11月15日に龍馬祭が営まれる

近江屋で龍馬と中岡が襲われた夜(慶応3年11月15日)

近江屋は河原町通蛸薬師下ルにあった土佐藩御用達の醤油商で、龍馬はここにかくまわれていました。慶応3年(1867年)11月15日(旧暦)の夜、海援隊長の坂本龍馬と陸援隊長の中岡慎太郎は、近江屋を襲った刺客に斬られます。龍馬はその夜に、中岡は2日後の11月17日に亡くなり、龍馬の家来の藤吉も命を落としました。二人はともに土佐藩の出身で、慶応2年(1866年)の薩長同盟に力を尽くしました。大政奉還から間もない時期の死でした。

その夜、脱藩後の中岡が身を寄せた書林・菊屋の息子・峯吉(みねきち)は、龍馬に軍鶏(しゃも)を買いに行かされていて、戻って事件を最初に見つけました。

事件のあと、襲ったのはだれかをめぐっていくつもの説がとなえられましたが、元京都見廻組(みまわりぐみ)与力頭の今井信郎(いまいのぶお)が明治3年(1870年)に暗殺にかかわったと供述しており、今では幕府の京都見廻組による襲撃とする見方が有力です。

近江屋跡の石碑と河原町に集まる土佐ゆかりの碑

近江屋の建物は残っておらず、河原町通蛸薬師下る西側に、京都市教育会が昭和2年(1927年)6月に建てた石碑が立つだけです。碑の東面には坂本龍馬・中岡慎太郎の名と「遭難之地」の文字が刻まれています。

このあたりの河原町・木屋町には土佐ゆかりの碑が集まっています。木屋町通蛸薬師の西南角には、江戸初期から明治4年まで土佐藩の藩邸があったことを示す石標(1968年)、河原町通四条上る東側には、中岡が身を寄せた菊屋の跡を示す「中岡慎太郎寓居之地」の碑(1936年)があります。碑めぐりの起点になる三条通木屋町西入の池田屋騒動之址は、元治元年(1864年)の池田屋事件の場所です。

河原町から東山の龍馬ゆかりの場所

河原町から東山にかけての略図。左寄りに河原町通が南北に通り、その東に木屋町通、さらに東に鴨川が南北に流れる。上から三条通・蛸薬師通・四条通が東西に走る。三条通の北側に池田屋騒動之址、そのすぐ南の河原町通の東に酢屋、蛸薬師通のすぐ南の河原町通の西側に近江屋跡。四条河原町のすぐ東に阪急京都河原町駅、鴨川の東岸に京阪三条駅と祇園四条駅。右寄りを東大路通が南北に通り、四条通の東の突き当たりに八坂神社、その東に円山公園の龍馬・慎太郎像。東大路通の東山安井バス停から東へ点線が延び、右下の京都霊山護国神社と、その向かいの霊山歴史館に至る。
からすまどおり・かわらまちどおり烏丸通・河原町通の読み方

酢屋と海援隊

三条通から河原町通を一筋南へ下り、東へ入った北側にあるのが材木商の酢屋(すや)です。龍馬は京都に滞在するとき、この中川嘉兵衛方に投宿し、ここを海援隊の屯所としました。その場所を示す「坂本龍馬寓居之趾」の石碑は、昭和3年(1928年)に京都市教育会が建てたものです。

酢屋は享保6年(1721年)にこの地で創業し、今も子孫が同じ場所で銘木や木工芸品の商いを続けています。龍馬が投宿していた2階は、龍馬と酢屋の歴史を紹介する「ギャラリー龍馬」です。店内は撮影・録音・筆記ができません。

霊山の墓と命日の龍馬祭

龍馬・中岡・藤吉の遺体は11月17日の夜、東山の霊山にあった霊明社(今の霊明神社)に葬られました。明治に入って霊明社の土地の多くが招魂社に移されたため、墓は今、京都霊山護国神社が所有・管理しています。

京都霊山護国神社は、維新の志士をまつる招魂社として明治元年(1868年)に始まり、昭和14年(1939年)に今の名になりました。墓所には木戸孝允(桂小五郎)など多くの志士の墓が並び、龍馬と中岡の墓は隣り合っています。命日と同じ日付の11月15日には墓前で龍馬祭が営まれます。

神社の向かいには、昭和45年(1970年)に開館した幕末・明治維新の専門博物館、霊山歴史館があり、「坂本龍馬を斬った刀」として紹介する刀や、近藤勇・土方歳三の所用刀を常設展示しています。

伏見の寺田屋

伏見の船宿・寺田屋(伏見区南浜町)で龍馬が伏見奉行所の捕り方に襲われたのは、前年の慶応2年(1866年)正月のことで、このときは難を逃れています。寺田屋の建物は鳥羽・伏見の戦いで焼けたとみられ、当時の寺田屋は、今は公園になっている東隣の場所にありました。

ちゅうしょじま中書島

河原町の碑めぐりと霊山への坂道

  • 河原町の碑めぐり:地下鉄東西線の京都市役所前駅から池田屋騒動之址まで約4分、そこから近江屋跡の碑まで約7分。阪急京都河原町駅・京阪三条駅からも歩ける。碑は道沿いにあり無料
  • 霊山:市バス「東山安井」から徒歩約7分。東大路通から上る坂道は「維新の道」と呼ばれ、鳥居を過ぎると急な上り坂になる。神社は8時〜17時(受付は9時から)、墓所の拝観料は大人300円・小中学生200円(2026年10月時点)
  • 霊山歴史館:10時〜17時30分(入館は閉館30分前まで)、大人1,000円・高校生大学生600円・小中学生300円、月曜休館(祝日の場合は翌日)
  • 円山公園(東山区円山町):公園の東側に龍馬・慎太郎の像。昭和9年(1934年)の建立で、戦時中の供出のあと昭和37年(1962年)に再建された。無料で見られる
  • 京都国立博物館(東山区茶屋町):龍馬が襲われたとき部屋にあったとされ、血痕の残る掛軸・屏風を含む坂本龍馬関係資料(重要文化財)を所蔵。展示の時期は博物館の案内で確かめる

この項目のミニクイズ

  1. 慶応3年(1867年)11月15日、坂本龍馬とともに京都の近江屋で襲われた陸援隊長はだれ?

  2. 坂本龍馬が京都で投宿し、海援隊の屯所とした三条の材木商・酢屋は、だれの家だった?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月19日

更新日:2026年10月19日

  1. 京都市「いしぶみデータベース NA011 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地」
  2. 京都市「いしぶみデータベース NA009 坂本龍馬寓居趾」
  3. 京都市「いしぶみデータベース NA012 中岡慎太郎寓居地」
  4. 京都市「いしぶみデータベース NA083 土佐藩邸跡」
  5. 京都市「いしぶみデータベース NA033 池田屋騒動址」
  6. 京都市「いしぶみデータベース HI149 幕末志士葬送の道」
  7. 京都市「いしぶみデータベース HI143 霊山表忠碑」
  8. 京都市「いしぶみデータベース HU040 寺田屋」
  9. 京都市観光協会 京都観光Navi「坂本龍馬と歩く京のまち:三条〜四条界わい」
  10. 京都市観光協会 京都観光Navi「坂本龍馬と歩く京のまち:東山界わい」
  11. 京都市観光協会 京都観光Navi「京都霊山護国神社」
  12. 京都市観光協会 京都観光Navi「幕末維新ミュージアム『霊山歴史館』」
  13. 霊山歴史館「ご利用案内」
  14. 霊山歴史館「志士たちの霊山」
  15. 酢屋「酢屋オフィシャルサイト」
  16. 酢屋「酢屋からのお知らせ」
  17. 国立国会図書館「近代日本人の肖像 中岡慎太郎」
  18. 国立国会図書館「近代日本人の肖像 坂本竜馬」
  19. 文化庁「国指定文化財等データベース 坂本龍馬関係資料」
  20. コトバンク「今井信郎」(「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)
  21. コトバンク「坂本龍馬」(「日本大百科全書(ニッポニカ)」ほか)
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