よみわづか
和束
別の表記・呼び方和束町

要点
町名は和束町(わづかちょう)。郵便番号の読みも「ワヅカチョウ」
『万葉集』巻3の大伴家持の歌に「和豆香杣山」とある
日本遺産の構成文化財は「湯船・原山の茶畑」「石寺・白栖・撰原・釜塚の茶畑」「鷲峰山 金胎寺」の3件
JR加茂駅から奈良交通バスで和束町役場まで約15分
読みは「わづか」、町名は和束町
和束は「わづか」と読み、町名は和束町(わづかちょう)です。「束」の字から「わそく」「わたば」と読みたくなりますが、地名としては「わづか」で、郵便番号の読みも「ワヅカチョウ」です。町内の地名には石寺(いしてら)、撰原(えりはら)、釜塚(かまつか)、湯船(ゆぶね)などがあります。
和束町は京都府南東部、相楽郡の町で、木津川の支流・和束川に沿って平地が開け、まわりの山の斜面に茶畑が広がります。昭和29年(1954年)に西和束村・中和束村・東和束村が合併して和束町が生まれ、昭和31年(1956年)に湯船村を編入しました。
最寄りの駅はJR加茂駅です。同じ相楽郡の精華町には、祝園(ほうその)という難読地名もあります。
名前の歴史 『万葉集』の「和豆香」と杣
「わづか」の地名が史料に初めて出てくるのは『万葉集』です。天平16年(744年)2月3日、聖武天皇の皇子・安積親王(あさかしんのう)が和束山に葬られたときに大伴家持が詠んだ歌(巻3・476番)に、「和豆香杣山(わづかそまやま)」とあります。町内には安積親王の墓とされる陵墓(太鼓山古墳)があります。
「和豆香」は、漢字の音を借りて日本語の発音を書き表した万葉がなで、和が「わ」、豆が「づ」、香が「か」にあたります。天平宝字4年(760年)の正倉院文書には「輪束(わづか)山」、元弘元年(1331年)の文書には「輪塚(わづか)」の書き方も見え、「和束」の字は平安時代の末ごろから使われています。
「杣(そま)」は、宮殿や寺院を造ったり直したりするための材木を切り出す山のことです。この一帯の山は聖武天皇が恭仁京(くにきょう)を造ったころから杣として使われたと考えられ、のちに和束は奈良の興福寺の杣になりました。平安時代から鎌倉時代には和豆香杣之荘(わづかそまのそう)、和束荘(わづかそう)などと呼ばれ、材木は木屋(こや)から筏で木津川を下り、木津で陸に揚げて奈良へ運ばれました。
宇治茶の産地と日本遺産の茶畑
和束町は宇治茶の主産地で、とくに煎茶の生産が多く、府内の煎茶生産の約5割を占めます(2021年)。茶づくりは鎌倉時代にさかのぼり、海住山寺(かいじゅうせんじ)にいた慈心上人が、京都・高山寺の明恵上人から茶の種を受け取り、鷲峰山(じゅうぶざん)のふもとの原山で育てたのが始まりと伝わります。
山城地域の茶の歴史と文化をまとめた「日本茶800年の歴史散歩」は、平成27年(2015年)4月24日に最初の日本遺産の一つとして認定され、和束町は最初に名を連ねた8市町村の一つです。平成28年(2016年)4月の追加認定で、構成文化財のある市町村は12になりました。
和束川の両側にある石寺と撰原の茶畑は、谷沿いの道からはあまり目に入りません。集落の中の坂道を登ると、山の形に沿って畝が重なる「山なり茶園」が目の前に広がります。茶畑はすべて私有地なので、無断で入ったり、茶の芽に触れたりしてはいけません。
日本遺産「日本茶800年の歴史散歩」の和束町の構成文化財
| 構成文化財 | 指定など |
|---|---|
| 湯船・原山の茶畑 | 京都府景観資産、文化的景観(原山) |
| 石寺・白栖・撰原・釜塚の茶畑 | 京都府景観資産(石寺・撰原・釜塚)、京都府の文化的景観 |
| 鷲峰山 金胎寺 | 多宝塔・宝篋印塔・木造弥勒菩薩坐像などが重要文化財、境内は国の史跡 |
行き方 JR加茂駅からバスで約15分
電車とバスで行く場合は、JR京都駅からみやこ路快速で木津駅まで約35分、乗り換えて大和路快速で加茂駅まで約6分です。JR大阪駅からは大和路快速で加茂駅まで約66分です。加茂駅からは奈良交通バスで和束町役場まで約15分です。休日には宇治方面から京都京阪バスも走っています(2026年11月時点)。
車では、加茂から府道5号で約15分です。和束町へ向かう道も町内の道も細いところがあります。
この項目のミニクイズ
京都府相楽郡の「和束町」の読み方は?
宇治茶の主産地・和束町は、京都府内でつくられる煎茶のおよそどれくらいを生産している?(2021年)
出典・確認情報
内容確認日:2026年11月8日
更新日:2026年11月8日
