知恩院――国宝の御影堂と三門、『七不思議』の伝え
別の表記・呼び方知恩院・知恩教院大谷寺・華頂山・知恩院御影堂・知恩院本堂・知恩院の七不思議・忘れ傘・瓜生石

要点
国宝の建物は御影堂(1639年)と三門(1621年)の2件。重要文化財の建物は勢至堂・経蔵・大方丈など9棟
いちばん古い建物は享禄3年(1530年)の勢至堂で、法然が晩年を過ごした大谷の禅房の地に建つ
七不思議の忘れ傘と瓜生石はいつでも見られ、抜け雀・大杓子などは方丈庭園の拝観コースで展示
拝観料がかかるのは友禅苑と方丈庭園で、小中学生は150〜250円(2026年10月時点)
法然の草庵から始まった浄土宗の総本山
法然は承安5年(1175年)に、念仏を称えることで誰もが救われるという専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教えを開き、比叡山を下りて東山の吉水に草庵を結びました。草庵は今の御影堂の近くにありました。流罪から京へ戻った建暦元年(1211年)からは、今の勢至堂の場所にあたる大谷の禅房に住み、翌年の正月25日に80歳で亡くなっています。
文暦元年(1234年)、弟子の源智(げんち)が墓所を整えて仏殿や影堂を建て、寺を興しました。
徳川3代の大造営と、3段に分かれた伽藍
徳川家康は慶長8年(1603年)に知恩院を永代の菩提所と定め、亡くなった生母・伝通院(でんつういん)の菩提のため、寺域をほぼ今の境内の広さまで広げました。元和5年(1619年)からは幕府が三門と経蔵を造って元和7年(1621年)に完成させます。寛永10年(1633年)の火事で三門と経蔵のほかは焼けましたが、3代将軍家光のもとで、寛永16年(1639年)に御影堂、寛永18年(1641年)に方丈・庫裏・唐門が再建されました。
伽藍は華頂山(かちょうざん)のふもとの斜面に3段に分かれ、三門や塔頭(たっちゅう)が並ぶ下段、御影堂などの中心の建物が建つ中段、勢至堂と法然の御廟がある上段からなります。三門から中段へは51段の石段「男坂」が上り、その南側に女坂が並びます。三門の前の神宮道を北へ行くと青蓮院、三門の南西には円山公園があります。
知恩院の伽藍の配置(模式図)
国宝の御影堂と三門、重要文化財の9棟
御影堂は法然の像(御影)をまつる本堂で、寛永16年(1639年)に家光が建てた桁行11間・梁間9間、入母屋造・本瓦葺の建物で、外は和様でまとめ、堂内には禅宗様の手法を取り入れて多くの柱を立て並べています。法然の800年大遠忌(2011年)の記念事業として屋根瓦の全面葺き替えなどの大修理が令和2年(2020年)まで約9年かけて行われ、同年4月に落慶法要が営まれました。大棟の中央に葺き残された4枚の瓦は、未完成を示すためにあえて残したと考えられています。
三門は秀忠の命で元和7年(1621年)に建った高さ24mの門です。重要文化財の建物は、知恩院でいちばん古い勢至堂、三門と同じ年に建った経蔵、家光が再建した集会堂(しゅうえどう)、寛永18年(1641年)の大方丈・小方丈・大庫裏・小庫裏と唐門、延宝6年(1678年)の大鐘楼の9棟です。重さ約70トンの大鐘は梵鐘の項目で紹介しています。
知恩院の国宝・重要文化財の建物
| 建物(国の指定名称・棟名) | 年代 | 文化財の種類(指定年) |
|---|---|---|
| 知恩院本堂(御影堂) | 江戸前期・寛永16年(1639年) | 国宝(2002年) |
| 知恩院三門 | 江戸前期・元和7年(1621年) | 国宝(2002年) |
| 知恩院勢至堂 | 室町後期・享禄3年(1530年) | 重要文化財(1899年) |
| 知恩院経蔵 | 江戸前期・元和7年(1621年) | 重要文化財(1900年) |
| 知恩院 集會堂(集会堂) | 江戸前期・寛永12年(1635年) | 重要文化財(1997年) |
| 知恩院 大方丈 | 江戸前期・寛永18年(1641年) | 重要文化財(1910年) |
| 知恩院 小方丈 | 江戸前期・寛永18年(1641年) | 重要文化財(1910年) |
| 知恩院 大庫裏 | 江戸前期・寛永18年(1641年) | 重要文化財(1997年) |
| 知恩院 小庫裏 | 江戸前期・寛永18年(1641年) | 重要文化財(1997年) |
| 知恩院唐門 | 江戸前期・寛永18年(1641年) | 重要文化財(1910年) |
| 知恩院大鐘楼 | 江戸中期・延宝6年(1678年) | 重要文化財(1997年) |
「七不思議」として伝わる7つの話
知恩院には古くから次の七不思議が伝わります。
- 鶯張りの廊下:御影堂と集会堂・大方丈・小方丈をつなぐ長さ550mの廊下。踏むと床が鶯の鳴き声のように鳴り、忍び込む者がいれば音で気づけたといわれます
- 忘れ傘:御影堂正面の右手(東側)の軒下に見える骨だけの傘。名工・左甚五郎が魔除けに置いたという説と、住みかを作ってもらった白狐がお礼に置いたという説が伝わります
- 白木の棺:三門の楼上に造営奉行の五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の木像とともに置かれた棺。予算超過の責任をとって夫妻が自刃したと伝わります
- 抜け雀:大方丈の菊の間の狩野信政の襖絵から、雀が命を得て飛び去ったといわれます
- 三方正面真向の猫:狩野信政が方丈廊下の杉戸に描いた猫。正面に立っても左右に回っても、猫がこちらを見据えているように見えます
- 大杓子(おおしゃくし):大方丈入口の廊下の梁に置かれた長さ2.5m・重さ約30kgの杓子。人々を「すくう」意味が込められているとされます
- 瓜生石(うりゅうせき):黒門への登り口の路上の石。誰も植えないのに瓜が実った、掘ると二条城への抜け道があるなどの話が伝わります
国宝の早来迎と法然上人絵伝は通常非公開
知恩院は美術工芸品の国宝も5件持っています。鎌倉時代の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は、山に沿って阿弥陀と菩薩が念仏の行者のもとへ急いで迎えに来る姿から「早来迎(はやらいこう)」と呼ばれます。「法然上人絵伝」は法然の生涯を描いた鎌倉時代の48巻の絵巻で、「法然上人行状絵図」とも呼ばれます。
書跡では、聖徳太子の伝記「上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)」、550年の奥書がある帖を含む「菩薩処胎経」、「大楼炭経」巻第三が国宝です。これらの宝物は通常非公開で、知恩院の境内では公開されていません。
今どこで見られる?/行き方
知恩院は東山区林下町400にあります。地下鉄東西線の東山駅から徒歩8分、京都駅から市バス206系統で「知恩院前」下車、徒歩5分です。開門は6時〜16時で、一部の行事の日は変わります。拝観料がかかるのは友禅苑と方丈庭園です(2026年10月時点)。
- 御影堂:正面から上がってお参りできる。方丈庭園へはここから渡り廊下を通る
- 三門:楼上(白木の棺)は通常非公開で、特別拝観の期間などに公開
- 七不思議:忘れ傘(御影堂正面の右手〈東側〉の軒下)と瓜生石(黒門前の交差点)はいつでも見られる。抜け雀・猫・大杓子と鶯張りの廊下の模型は方丈庭園の拝観コース内で展示
- 庭園の拝観料:友禅苑は大人(高校生以上)300円・小中学生150円、方丈庭園は400円・200円、共通券は500円・250円。受付は9時から
- 勢至堂は令和6年(2024年)から修理中。その間、御廟の拝観は9時〜16時
- 三門前〜御影堂前に無料シャトルバス(9時〜16時、13時台を除く)
この項目のミニクイズ
知恩院の七不思議の一つ「忘れ傘」。骨だけになった傘が見えるのはどこ?
知恩院の国宝・御影堂の大棟の中央に、建物が未完成であることを示すため、あえて残したと考えられているものは?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月28日
更新日:2026年10月28日
- 知恩院「法然上人とお念仏」
- 知恩院「知恩院の歴史」
- 知恩院「知恩院の建造物」
- 知恩院「御影堂【建造物】」
- 知恩院「国宝御影堂 落慶法要」
- 知恩院「国宝・御影堂ものがたり 第5回 御影堂の瓦の歴史」
- 知恩院「三門【建造物】」
- 知恩院「集会堂【建造物】」
- 知恩院「経蔵【建造物】」
- 知恩院「方丈【建造物】」
- 知恩院「大鐘楼【建造物】」
- 知恩院「勢至堂【建造物】」
- 知恩院「勢至堂修理事業」
- 知恩院「御廟【建造物】」
- 知恩院「知恩院の七不思議」
- 知恩院「知恩院の宝物」
- 知恩院「拝観情報」
- 知恩院「交通アクセス」
- 知恩院「よくあるご質問」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院本堂(御影堂)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院三門」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院勢至堂」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院経蔵」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院(集會堂)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院(大方丈)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院(小方丈)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院(大庫裏)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院(小庫裏)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院唐門」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 知恩院大鐘楼」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 良正院(本堂)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 紙本著色法然上人絵伝」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 上宮聖徳法王帝説」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 菩薩処胎経」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 大楼炭経〈巻第三〉」
