よみかいで
鶏冠井
別の表記・呼び方鶏冠井町

要点
町名は鶏冠井町(かいでちょう)。最寄りの阪急の駅は西向日(にしむこう)で、駅名に「鶏冠井」は使われていない
延久4年(1072年)の文書に「蝦手井」、安元2年(1176年)の記録に「鶏冠井殿」の名が見える
長岡宮の大極殿跡は国の史跡で、町内に「大極殿」という地名が残る
毎年5月3日、町内の石塔寺で京都府の無形民俗文化財「鶏冠井題目踊」が奉納される
読みは「かいで」、町名は鶏冠井町
鶏冠井は「かいで」と読みます。「鶏冠」はふつう「とさか」と読む字で、字からは「けいかんい」「とさかい」と読みたくなりますが、地名としては「かいで」です。住所の町名は鶏冠井町(かいでちょう)で、郵便番号の読みも「カイデチョウ」です。
向日市の資料でも、鶏冠井(かいで)、鶏冠井題目踊(かいでだいもくおどり)のように読みを添えて書かれます。江戸時代の鶏冠井村は、明治22年(1889年)の合併で向日町の一部になりました。
駅名には「鶏冠井」は使われていません。町の最寄りは阪急京都線の西向日駅(にしむこう)で、一つ北の駅が東向日駅(ひがしむこう)です。
どこにある? 西向日駅の北と長岡宮跡
鶏冠井町は向日市の中ほどにあり、町の土地は向日丘陵の東に続く台地から、桂川の氾濫でできた低い平地へと下っていきます。町域は阪急京都線の線路の両側にまたがり、西向日駅のすぐ北から東へ広がります。北は寺戸町・森本町、南は上植野町、西は向日町と接しています。
このあたりは、784年から794年まで都が置かれた長岡京の宮城、長岡宮の中心部にあたります。天皇が政治をとった大極殿の跡は昭和39年(1964年)に国の史跡「長岡宮跡」になり、いまは大極殿公園として整備されています。町内には「大極殿」という地名も残ります。大極殿公園は西向日駅から北へ約300m、線路の西側にあり、東向日駅からは南へ約1.1kmです。
天皇の住まいだった内裏の跡は、町内の北真経寺の境内から南にかけての一帯とされます。長岡京遷都の日にちなんで、毎年11月11日には大極殿公園で大極殿祭が行われます。
鶏冠井町と西向日駅・大極殿公園の位置
名前の由来 楓と「蝦手井」
地元には、赤く色づいた楓の木の下にきれいな水がこんこんと湧き、その楓の葉が鶏のとさかに似ていたことから「鶏冠井」と呼ばれるようになった、という話が伝わります。
古いことばでは、カエデを「かえるで」と呼びました。葉の形がカエルの手に似ていることからの名で、「蛙手」のほか「鶏冠木」の字も当てられます。
古い文書に目を向けると、延久4年(1072年)9月5日の太政官牒に「蝦手井」の字があります。石清水八幡宮寺の所領のうち、荘園としての扱いをやめさせられた土地の一つとして挙がっているものです。この「蝦手井」の読みは分かっておらず、「カエルテイ」か「カテイ」だろうと推定されています。
「鶏冠井」の字は、安元2年(1176年)の記録に「鶏冠井殿」として現れ、安貞2年(1228年)からは徳大寺家の所領・鶏冠井荘として記録に残ります。
真経寺と鶏冠井題目踊
鎌倉時代の終わりには、日蓮の孫弟子にあたる日像(にちぞう)がこの地で教えを広めたと伝わります。真言寺の住持・実賢が改宗して真経寺(しんきょうじ)となり、関西で最初の日蓮宗の寺院になったとされます。町内にはいま北真経寺と南真経寺があります。
鶏冠井題目踊(かいでだいもくおどり)は、毎年5月3日の花まつりに町内の石塔寺で奉納される踊りで、京都府の無形民俗文化財です。日像の昼食を用意していた村人が、炊事の煙が「南無妙法蓮華経」のお題目を描くのを見て法華経に帰依した、という言い伝えにちなみます。楽器は太鼓と拍子木だけで、扇と菅笠を持って13曲を踊ります。
この項目のミニクイズ
向日市の町名「鶏冠井町」の読み方は?
出典・確認情報
内容確認日:2026年11月8日
更新日:2026年11月8日
