よみもずめ
物集女
別の表記・呼び方物集女町・物集女城跡・物集女街道
ひとことで言うと
物集女は「もずめ」と読み、向日市の物集女町に残る地名です。室町・戦国時代にはこの一帯を本拠とした物集女氏が城館を構え、物集女城跡は2024年に国の史跡に指定されました。30秒でわかる要点
物集女城・物集女氏は「もずめ」と読む
物集女氏は戦国期の在地領主(国衆)
物集女城跡は2024年に国史跡に指定
「ものあつめ」ではなく「もずめ」
向日市は物集女城と物集女氏に「もずめじょう」「もずめし」と読み仮名を付けて紹介しています。三文字の漢字から読みを想像しにくい地名ですが、向日市の物集女町という町名のほか、物集女城跡や物集女街道の名前にも使われています。
物集女氏と物集女城跡
向日市によると、物集女城は室町から戦国時代にこの一帯を本拠とした国衆・物集女氏の居城と考えられています。物集女氏は1487年の文書に、桂川右岸の惣国の代表者の一人として名が見えます。
城跡は東西約70m・南北約75mの、堀と土塁をめぐらせた方形の館で、2024年10月11日付で国の史跡に指定されました。城のあたりの物集女町中条の「中条」は、城の中「中城」が語源ともいわれています。
京都市西部へ延びる物集女街道
物集女の名は道にも残ります。京都府立京都学・歴彩館のレファレンス事例は、物集女街道を西国街道から分かれて京都市西部を北上する街道と説明し、寺戸村(現在の向日市寺戸町)で分かれて樫原で山陰街道に結ぶと紹介しています。
この項目のミニクイズ
読んだ内容を、2問の四択で確かめてみましょう。
向日市の地名「物集女」の読み方は?
2024年に国の史跡に指定された物集女城跡。この城館を居城とした在地領主は?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月3日
更新日:2026年10月3日
