よみたいざ
間人
別の表記・呼び方丹後町間人・間人皇后(はしうどこうごう)・穴穂部間人皇后
ひとことで言うと
間人は「たいざ」と読み、京丹後市丹後町の地名です。聖徳太子の母・穴穂部間人皇后が争乱を避けてこの地に身を寄せ、去るときの「御退座」にちなんで「たいざ」と読むようになったと伝えられています。30秒でわかる要点
京丹後市丹後町間人は「たいざ」
皇后は地元で「はしうどこうごう」
「御退座」にちなむ読みと伝わる
「間人」と書いて「たいざ」
京丹後市の文化財保存活用地域計画は、丹後町間人に「たいざ」と振り仮名を付けています。「間人」は、用明天皇の后である穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の名と同じ字で、地元では皇后を「はしうどこうごう」と呼んでいます。
皇后の「御退座」にちなむ伝承
京丹後市観光公社の案内では、皇后は蘇我氏と物部氏の争乱を避けてこの地に身を寄せたと伝わります。大和へ帰る際に御名を賜ったものの、村人は口にするのは畏れ多いと考え、「御退座」にちなんで「たいざ」と読むことにしたとされます。
市の計画によると、この伝承は江戸時代後期の記録にあらわれ、足洗いの井戸などの伝承地があります。図書館のレファレンス事例でも、地名辞典に同じ趣旨の由来が載ることが紹介されています。
伝承を今に伝える母子像
この伝説にもとづき、皇后(高さ3.5メートル)と聖徳太子(高さ1.5メートル)の母子像が、日本海を眺めるように設置されています。
この項目のミニクイズ
読んだ内容を、2問の四択で確かめてみましょう。
京丹後市丹後町の地名「間人」の読み方は?
間人を「たいざ」と読む由来として伝わる話で、村人がちなんだとされる皇后の行動は?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月3日
更新日:2026年10月3日
