よみやなぎのばんばどおり
柳馬場通
別の表記・呼び方柳馬場・二条柳町・柳町(柳馬場二条)
ひとことで言うと
柳馬場通は「やなぎのばんばどおり」と読む中心部の南北の通りです。国土地理協会の資料は、柳並木のある遊郭「二条柳町」があったからとする説と、豊国祭の馬揃えの際に柳が植えられたからとする説を挙げています。30秒でわかる要点
「馬場」は「ばば」ではなく「ばんば」と読む
柳並木の遊郭「二条柳町」に由来する説がある
豊国祭臨時祭礼の馬揃えで柳が植えられたとする説もある
「ばば」ではなく「ばんば」
国土地理協会の「京都市の通り名 その2」は、柳馬場通に「やなぎのばんばどおり」と読みを振っています。中京区役所の学区紹介でも、柳池学区の西側の通りが「柳馬場(やなぎのばんば)通」と書かれています。
由来は二つの説
国土地理協会の資料によると、柳馬場通の名は、かつて周りに美しい柳並木がある「二条柳町」という遊郭があったことに由来します。同資料は、秀吉七回忌の豊国祭臨時祭礼で馬の優劣を競う馬揃えがあった際に柳が植えられたからともいう、と別の説も併記しています。
柳町は島原の始まり
京都市の「京都歴史散策マップ13 京都駅北」は、花街「島原」は豊臣秀吉が二条柳馬場に柳町の花街を公許したのが始まりとされると紹介しています。京阪電車の「京都ツウのススメ 第144回 島原の太夫」も、島原は1589(天正17)年に秀吉に公許され、最初は柳町(柳馬場二条)にあったと書いています。柳町はその後、六条三筋町を経て島原へ移りました。
この項目のミニクイズ
読んだ内容を、2問の四択で確かめてみましょう。
京都の中心部を南北に走る「柳馬場通」の読み方は?
国土地理協会の資料が柳馬場通の名の由来として挙げる説の一つは?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月9日
更新日:2026年10月9日
