よみしまばら・すみや
島原と角屋
別の表記・呼び方西新屋敷

要点
正式な地名は西新屋敷で、町名は6つに分かれる
「島原」の名には、移転の騒ぎを島原の乱にたとえた説と、堀と土塀に囲まれた町を島原城に見立てた説がある
太夫を抱えるのは置屋で、揚屋は置屋から太夫を呼んで宴を開く分業だった
幕末の角屋は勤皇派・佐幕派の双方が使い、久坂玄瑞の密議の石標と芹沢鴨の刀傷が残る
通称「島原」と正式な地名「西新屋敷」
島原は、豊臣秀吉が公許した二条柳町の花街が、六条三筋町を経て移ってきた町です。移転は寛永18年(1641年)で、移った先は大宮通の西の農村部でした。
「島原」は通称で、正式な地名は西新屋敷です。今も下京区の町名は西新屋敷揚屋町(あげやちょう)、太夫町(たゆうちょう)、中之町(なかのちょう)、上之町(かみのちょう)、中堂寺町(ちゅうどうじちょう)、下之町(しものちょう)の6つで、大門から西へのびる「道筋(どうすじ)」と交わる筋ごとに、北側と南側で町が分かれています。範囲は東の島原大門から西の千本通までで、東西194.9m、南北242.1mです。
「島原」の名の二つの説
よく知られるのは、移転のときの騒ぎが、数年前に九州で起きた島原の乱(寛永15年〈1638年〉に終結)を思わせ、「あたかも島原の乱の如し」と言いはやされたからという説です。
別の説は、町の姿を島原の乱の島原城に見立てたというものです。移ってきた遊里は堀をめぐらし、その内側に土塀を築いて周りの農村と隔てられ、入口は東側だけでした。どちらの説にも決め手はありません。
揚屋と置屋
島原は歌や舞を伴う宴の町として栄え、和歌や俳諧の会も盛んで、江戸中期には「島原俳壇」ができるほどでした。宴は分業で、太夫(たゆう)や芸妓を抱えて育てる「置屋(おきや)」と、自らは抱えず置屋から太夫たちを呼んで宴会を開く「揚屋」に分かれていました。揚屋は料理も出す、今の料亭にあたる店です。
太夫は花街の女性の最高位で、舞や音曲に加えて茶・花・和歌・俳諧などの教養を身につけていました。一方で島原は幕府が公認した遊里でもあり、輪違屋もかつては太夫や遊女を抱える置屋でした。島原の花街としての営業は昭和52年(1977年)に終わりましたが、輪違屋はその後も太夫を抱えて営業を続け、京都の社寺の行事などで太夫道中が披露されています。
角屋
角屋は、島原が開かれたときから建物と家督を受け継いできた揚屋で、六条三筋町から移築したと伝わります。延宝年間(1673〜81年)に北へ、天明7年(1787年)に南へ広げて、ほぼ今の規模になりました。揚屋建築として唯一残る建物で、昭和27年(1952年)3月29日に国の重要文化財に指定されました。
揚屋の建物は、大座敷に面した広庭に必ず茶席を置き、寺の庫裏(くり)と同じくらいの台所を備えるのが特徴です。「揚屋」の名は、江戸の初めから中ごろまでの揚屋が間口の狭い建物で、2階を座敷にして客を2階へ揚げたことからついた名だといわれます。角屋は明治5年(1872年)まで揚屋として営業し、その後はお茶屋として昭和60年(1985年)まで「松の間」で宴会を続けました。今の松の間は大正15年(1926年)に建てられた平屋の離れです。
2階の梅之間の襖に貼られた与謝蕪村(よさぶそん)の紅白梅図は、もとは一連の襖絵だったとみられる四曲屏風とともに、昭和58年(1983年)6月6日に重要文化財に指定されています。
島原に残るおもな建物
| 名称 | 何の建物か | 文化財の種類 | 公開 |
|---|---|---|---|
| 角屋(すみや) | 揚屋(宴会の場) | 国の重要文化財(主屋など)。松の間は国の登録有形文化財、庭は京都市指定名勝 | 公開期間のみ見学できる |
| 島原大門 | 島原の東の入口にあたる正門。慶応3年(1867年)に建てられた高麗門 | 京都市登録有形文化財(1986年登録) | 道沿いにあり外から見られる |
| 輪違屋(わちがいや) | 太夫や芸妓を抱える置屋。元禄年間(1688〜1704年)創業 | 京都市指定有形文化財 | 非公開 |
幕末の角屋
幕末の角屋は、勤皇派と佐幕派の双方が会合に使いました。長州藩士の久坂玄瑞(くさかげんずい)が尊皇攘夷の密議を重ねた場所として、昭和59年(1984年)に角屋の前に石標が建てられました。久坂はのちに蛤御門の変で自決しています。
新選組も角屋で遊び、酒に酔った芹沢鴨(せりざわかも)が暴れたことで知られます。そのとき芹沢がつけたという刀傷が今も残り、芹沢は暗殺された夜も角屋で飲んでいました。ただし、角屋が乱闘の現場になったことはありません。
角屋への行き方と公開日
島原は下京区の千本通と大宮通の間、五条通と七条通の間にあります。JRの丹波口駅からは千本通を高架沿いに南へ歩き、島原住吉神社の横の西門跡から入って角屋まで徒歩7分、JR梅小路京都西駅からは徒歩8分です。四条大宮から市バス206・207系統に乗る場合は、大宮通の「島原口」で降りて花屋町通を西へまっすぐ徒歩約10分です。通りの東の入口に島原大門が立っています。
角屋もてなしの文化美術館(下京区西新屋敷揚屋町32)は公開期間が限られ、令和8年(2026年)秋は9月18日〜12月13日の金・土・日曜と祝日に開館しています(10時〜15時30分受付終了)。1階(台所・大座敷)と展示室は予約不要のガイド付きの定時案内で、料金は一般1,000円・中高生800円・小学生500円です(2026年10月時点)。2階座敷の特別公開は予約制で、1階の入場料に加えて一般1,000円・中高生700円が要り、小学生以下は入れません。
島原(西新屋敷)とまわりの通り・駅
この項目のミニクイズ
島原で今も太夫を抱える置屋・輪違屋が創業したと伝わる時期は?
角屋のような揚屋の建物で、大座敷に面した広庭に必ず置かれたものは?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月22日
更新日:2026年10月22日
- 文化庁「国指定文化財等データベース 角屋」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 角屋松の間」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 紙本金地墨画淡彩紅白梅図〈与謝蕪村筆/四曲屏風〉」
- 京都市・京都市埋蔵文化財研究所「京都歴史散策マップ13 京都駅北」
- 京都市都市計画局「歴史的資産周辺の景観情報(プロファイル)本願寺(西本願寺)周辺エリア」
- 京都市「いしぶみデータベース SI037 島原西門碑」
- 京都市「いしぶみデータベース SI020 長州藩士久坂玄瑞の密議の角屋」
- 京都市「いしぶみデータベース SI058 歌舞練場跡記念碑」
- 京都市教育委員会「京都市通学区町名一覧(下京区)」
- 公益財団法人角屋保存会「島原の文化史(島原のQ&A)」
- 公益財団法人角屋保存会「角屋保存の意義(角屋のQ&A)」
- 公益財団法人角屋保存会「島原の文芸碑紹介」
- 公益財団法人角屋保存会「角屋もてなしの文化美術館(令和8年企画展・開催概要)」
- 公益財団法人角屋保存会「交通案内」
- 京都市観光協会「京都観光Navi 角屋もてなしの文化美術館」
- 京都市産業観光局(「坂本龍馬と歩く京のまち」広域・南)
- 京阪グループ「京都ツウのススメ 第144回 島原の太夫(たゆう)」
