よみしゅもくまち
撞木町
別の表記・呼び方しゅもくちょう・撞木町廓・撞木町遊廓
ひとことで言うと
撞木町は伏見区の町名で、京都市の町名一覧では「しゅもくまち」と読みます。京都市のいしぶみデータベースが伝える碑文や伏見区役所の資料は、慶長9年(1604年)に開かれた花街の形が、鐘を打ち鳴らすT字形の棒「撞木」に似ていたことからその名が生まれたと伝えています。30秒でわかる要点
町名一覧の読みは「しゅもくまち」(史跡案内では「しゅもくちょう」)
花街の形が鐘をつく撞木に似ていたことが由来と伝わる
大石良雄(内蔵助)が遊興した地として知られる
「まち」と読む町名
京都市教育委員会の通学区町名一覧では、伏見区の撞木町は「しゅもくまち」と読まれています。京都の町名は「ちょう」と読むものが多いなかで、珍しい読み方です。
ただし、伏見区役所の「伏見区民史跡・名所めぐり」や京都市の「京都のいしぶみデータベース」は、遊廓の名としての撞木町を「しゅもくちょう」と読んでおり、資料によって読みが分かれます。
花街の形が「撞木」に似ていた
京都市の「京都のいしぶみデータベース」によると、撞木町遊廓は慶長9年(1604年)に渡辺掃部・前原八右衛門の両名によって開設されました。大正7年(1918年)建立の「撞木町廓之碑」の碑文には、富田信濃守邸址を開いて再興したこと、そして花街の形状が撞木に似ていることから撞木町の名があることが刻まれています。
伏見区役所の「伏見区民史跡・名所めぐり」も、撞木町は伏見夷町の富田信濃守邸址に開かれた花街で、街の形状が撞木(鐘を打ち鳴らすT字形の棒)に似ていることからその名が生まれたと伝わると紹介しています。
大石内蔵助が通った遊里
京都市のいしぶみデータベースによると、撞木町は伏見の発展とともに元禄期に全盛を迎え、赤穂浪士を率いる大石良雄が敵方の目を欺くためにこの地で遊興したことで知られます。伏見区役所も、一時山科に暮らした大石内蔵助がたびたび撞木町を訪れたと紹介しています。
この項目のミニクイズ
読んだ内容を、2問の四択で確かめてみましょう。
撞木町の名の由来と伝わるのは、何が鐘をつく「撞木」に似ていたこと?
伏見区の町名「撞木町」の、京都市の町名一覧での読み方は?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月9日
更新日:2026年10月9日
