地名・読み方

よみかみはてちょう

上終町

別の表記・呼び方北白川上終町

比叡山のふもとのゆるやかな坂に広がる北白川の町並み。南北の大通りと小さなバス停の屋根、右手の丘に段々に建つ大学の建物、手前に縄文時代の竪穴住居の浅いくぼみと柱穴、模様の付いた土器のかけらが描かれている

要点

  1. 町名の読みは「きたしらかわかみはてちょう」。「上」は「かみ」、「終」は「はて」

  2. 北白川小学校・近衛中学校の通学区(2025年4月時点)

  3. 白川通のバス停は「上終町・瓜生山学園 京都芸術大学前」

  4. 上終町遺跡で約8000年前の縄文時代早期の竪穴住居跡が見つかった

「終」を「はて」と読む町名

上終町は「かみはてちょう」と読みます。住所では頭に「北白川」を付けて北白川上終町(きたしらかわかみはてちょう)と書き、北白川小学校・近衛中学校の通学区です(2025年4月時点)。北白川には上池田町(かみいけだちょう)・上別当町(かみべっとうちょう)など、「上」を「かみ」と読む町名がほかにもあります。

読みにくいのは「終」の字です。「終」の訓読みとしてよく挙げられるのは「おわる」「おえる」「つい」で、「はて」は一般的な読みではありません。「はて」はふつう「果て」と書く言葉で、物事の終わりや、いちばん端の所を表します。

停留所の名前でも読みは同じで、「上終町・瓜生山学園 京都芸術大学前」は「かみはてちょう・うりゅうやまがくえん きょうとげいじゅつだいがくまえ」と読みます。

京都の難読地名

北白川の白川通沿い、京都芸術大学の近く

北白川は比叡山の南西のふもとに広がる地域で、白川の流れがつくった扇状地の上にあります。南北に白川通が通り、東西には京と近江を結んだ志賀越道(山中越え)が今も主な道路として残っています。

上終町は白川通沿いの町です。白川通には市バスと京都バスの停留所「上終町・瓜生山学園 京都芸術大学前」があり、市バスでは3系統などが止まります。3系統は、行き先に「上終町・瓜生山学園 京都芸術大学前」と添えた北白川仕伏町行きの便だけが、北白川仕伏町を回ってこの停留所に止まります(2026年11月時点)。通りの東側には京都芸術大学(住所は北白川瓜生山)があり、叡山電鉄の茶山・京都芸術大学駅は西にあって、大学までは歩いて約10分です。

大学の名前が京都造形芸術大学だったころの案内図には、停留所の名前が「上終町京都造形芸大前」と載っています。

上終町遺跡と縄文時代の北白川

北白川は縄文時代の遺跡が多い地域で、上終町(かみはてちょう)遺跡はその代表の一つです。1991年の発掘調査で、縄文時代早期(約8000年前)の竪穴住居跡と、模様を彫った棒を転がして山形や斜めの格子の文様を付けた押型文土器(おしがたもんどき)の破片が見つかりました。京都盆地で最も古い竪穴住居とされています。

このあたりの縄文時代の遺跡は岡崎のほうまで広がっていて、まとめて北白川縄文遺跡群と呼ばれます。同じ北白川には、飛鳥時代の塔跡などが見つかった北白川廃寺や、瓜生山の山頂付近に残る戦国時代の北白川城跡もあります。

名前の由来ははっきりしない

上終という町名の由来は、はっきりしません。

北白川一帯は、平安時代の辞書『和名抄』に見える上粟田郷の地にあたり、明徳2年(1391年)ごろには集落があったとみられています。白川より北を北白川、南を南白川と呼んだとされます。かつての白川村の中を、白川が山中越(志賀越道)に沿って東から南西へ流れています。

この項目のミニクイズ

  1. 白川より北を「北白川」と呼んだのに対し、白川より南は何と呼んだとされる?

出典・確認情報

内容確認日:2026年11月8日

更新日:2026年11月8日

  1. 京都市教育委員会「京都市通学区町名一覧(左京区)」(令和7年4月1日現在)
  2. 京都市・京都市埋蔵文化財研究所「京都歴史散策マップ21 修学院 北白川」
  3. 京都市考古資料館「第347回京都市考古資料館文化財講座 現地講座 北白川・吉田の遺跡をめぐる」(2024年10月26日)
  4. 京都市交通局「市バス 3号系統」
  5. 京都バス「上終町・瓜生山学園京都芸術大学前」(停留所)
  6. 京都芸術大学「交通アクセス」
  7. コトバンク「白川村」(日本歴史地名大系)
  8. コトバンク「終」(デジタル大辞泉・普及版 字通)
  9. コトバンク「果て」(デジタル大辞泉)
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