地名・読み方

よみししがたに

鹿ケ谷

別の表記・呼び方鹿ヶ谷・鹿ケ谷通・鹿ヶ谷の陰謀

ひとことで言うと

鹿ケ谷は「ししがたに」と読む、左京区の如意ケ嶽西麓に広がる地域名です。京都市左京区の冊子は、智証大師(円珍)がこの地を訪れた時に一頭の鹿が現れて道案内をしたという伝承が、地名の由来だと紹介しています。

30秒でわかる要点

  1. 読みは「ししがたに」、「鹿」を「しし」と読む

  2. 円珍を鹿が道案内した伝承が地名の由来

  3. 平家打倒の謀議「鹿ヶ谷の陰謀」の舞台

如意ケ嶽の西麓の集落

京都市左京区役所が公開している冊子「京都 左京 あゆみとくらし」(京都市歴史資料館の宇野日出生氏による連載をまとめたもの)は、鹿ヶ谷を如意ケ嶽の西麓丘陵に位置した集落で、北は浄土寺、南は南禅寺・粟田口に接していたと説明しています。

鹿が道案内をした伝承

同じ冊子は地名の由来について、智証大師(円珍)がこの地を訪れた時に一頭の鹿が現れ、道案内をしたという伝承によっていると書いています。

平安時代以降は貴族の寺院や山荘が営まれ、応仁の乱後に廃寺となった円成寺の付近は桜の名所でもあったと紹介されています。

俊寛の山荘と「鹿ヶ谷の陰謀」

冊子によると、鹿ヶ谷の名が有名になったのは、法勝寺執行だった俊寛が霊鑑寺の東方の山中に山荘を構え、ここで平家打倒の談合を行ったためです。内通によって俊寛ら首謀者は捕らえられて遠島となり、以来この山中を談合谷と伝えています。

京都市の「京都歴史散策マップ10 東山 鴨東」も、1177年に後白河法皇の近臣によって平氏打倒の謀議(鹿ヶ谷の陰謀)がなされたと紹介しています。江戸時代の鹿ヶ谷村は158石余りの農村で、妙法院宮や青蓮院宮などが領主だったと左京区の冊子は伝えています。

この項目のミニクイズ

読んだ内容を、2問の四択で確かめてみましょう。

  1. 左京区の如意ケ嶽の西麓に広がる地域「鹿ケ谷」の読み方は?

  2. 鹿ケ谷の地名の由来とされる伝承で、現れた一頭の鹿が道案内をした人物は?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月9日

更新日:2026年10月9日

  1. 京都市左京区役所「京都 左京 あゆみとくらし」(P14〜19)
  2. 京都市「京都歴史散策マップ10 東山 鴨東」
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