よみかんしゅうじ
勧修寺
別の表記・呼び方かじゅうじ・勧修寺仁王堂町・山科門跡
ひとことで言うと
勧修寺は、山科区にある寺の名が「かじゅうじ」、勧修寺仁王堂町など周辺の町名が「かんしゅうじ」と読み分けられる名前です。京都観光Naviによると、寺伝では醍醐天皇が昌泰3年(900年)に創建し、天皇の祖父・藤原高藤の諡号をとって勧修寺と名付けたと伝わります。30秒でわかる要点
寺は「かじゅうじ」、町名は「かんしゅうじ」と読む
寺号は藤原高藤の諡号から付けられたと寺伝が伝える
寺地は宮道弥益の邸跡と伝わる
寺は「かじゅうじ」、町名は「かんしゅうじ」
京阪グループの「京都スマートスタイル」は、寺の読み方は「かじゅうじ」で、付近の地名も同じ「勧修寺」と書くものの、こちらは「かんしゅうじ」と読むと紹介しています。京都市教育委員会の通学区町名一覧でも、山科区の勧修寺仁王堂町は「かんしゅうじにおうどうちょう」など、町名はすべて「かんしゅうじ」です。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースが紹介する辞典類では、寺の読みとして「かじゅうじ」のほか「かんじゅじ」「かんしゅうじ」なども挙げられており、読みが一つに定まってこなかったことがうかがえます。
寺の名は藤原高藤の諡号から
京都観光Naviによると、寺伝では昌泰3年(900年)に醍醐天皇が生母・藤原胤子の御願により創建したと伝え、寺号は天皇の祖父にあたる藤原高藤の諡号をとって勧修寺と名付けられました。
京都市山科区役所の「やましなを歩く」は、勧修寺は宇治郡の大領であった宮道弥益の邸跡と伝えられ、『今昔物語』には、鷹狩りの途中で雨宿りした高藤が弥益の娘・列子と結ばれ、生まれた胤子が醍醐天皇の生母になったいきさつが記されていると紹介しています。
寺の周辺に広がる「勧修寺」の町名
勧修寺の所在地は山科区勧修寺仁王堂町で、周辺には勧修寺北大日町、勧修寺東出町など、「勧修寺」を冠した町名が並びます。寺を訪ねるときは「かじゅうじ」、住所を読むときは「かんしゅうじ」と覚えておくと迷いません。
この項目のミニクイズ
読んだ内容を、2問の四択で確かめてみましょう。
山科区の寺「勧修寺」の読み方は?(周辺の町名は「かんしゅうじ」と読む)
寺伝によると、醍醐天皇が創建した勧修寺の寺号は、誰の諡号からとられた?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月9日
更新日:2026年10月9日
