寺社・文化財

伏見稲荷大社の本殿と千本鳥居

別の表記・呼び方お稲荷さん

朱色の鳥居がすき間なく二列に並んでトンネルのように続く山道を、緑の杉木立の中に描いた和紙コラージュ風の挿絵。奥には入母屋屋根の朱の楼門が小さく見え、石段の上に小さな狐の石像が一対座り、小さく簡略化した親子連れが鳥居の下を歩いている

要点

  1. 本殿は応仁の乱で焼けたあとの再建で、五柱の神を一つの社殿に祀る

  2. 重要文化財の建物9棟のうち7棟は2014年の指定で、本殿と御茶屋はそれ以前から

  3. 「千本鳥居」は奥社奉拝所へ向かう一区間の呼び名で、鳥居は山の参道全体に続く

  4. 狐は稲荷大神の使いの白狐で、神そのものではない

稲荷神社の総本宮

伏見稲荷大社は、東山三十六峰のいちばん南にある稲荷山の西のふもとにあり、稲荷山を含む約26万坪(約87万㎡)が境内です。全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮で、「お稲荷さん」とも呼ばれます。

社伝では、元明天皇の和銅4年(711年)2月の初午(はつうま)の日に、深草の長者が勅命を受けて稲荷山の三つの峰に神を祀ったのが始まりで、2011年(平成23年)に鎮座1300年を迎えました。ただし神社自身は、信仰の起こりをさらに古い時代にさかのぼるものとしています。

社名については、秦氏の祖先が的にして射た餅が白い鳥になって飛び、とまった山の峰に稲が生じたことからイナリという社名になったという話が『山城国風土記』の逸文に見え、ほかにもいろいろな説があります。

応仁の乱と本殿の再建

応仁の乱のさなかの応仁2年(1468年)、稲荷山が戦場になり、山上・山下の社殿や堂塔が焼けました。やがて仮の社殿が建ち、諸国への勧進(寄付集め)を経て本殿が再建されました。今の本殿は明応3年(1494年)の再建です。再興の資金を集めるために置かれた本願所は、元禄時代から幕末まで愛染寺という寺として続きました。

本殿は五間社流造・檜皮葺の大きな社殿で、「稲荷造」とも呼ばれます。中央に宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、北に佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、南に大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)を祀り、その外側の北と南に田中大神・四大神(しのおおかみ)を加えた五柱を一つの社殿に祀っています。懸魚(げぎょ)は金覆輪で縁どられ、前拝には蟇股が据えられています。

本殿は1909年(明治42年)4月5日に当時の国宝(旧国宝)に指定され、今は重要文化財です。

国宝・重要文化財・登録有形文化財・市指定の違い

楼門・外拝殿・権殿

境内は西を正面とし、参道から楼門、外拝殿、内拝殿、本殿の順に東へ進みます。本殿の北には権殿が並び、本殿の背後の石段の上に奥宮と白狐社があります。

楼門は天正17年(1589年)の造営です。豊臣秀吉が母・大政所の病気平癒を祈り、かなえば一万石を寄進すると記した願文が伝わり、1973年(昭和48年)の解体修理で同じ「天正17年」の墨書が見つかって、秀吉の造営という言い伝えが確かめられました。神社の楼門としては最大級です。元禄7年(1694年)には拝殿を建てるため楼門が西へ曳家(ひきや)され、南北の廻廊がつながれました。

外拝殿は天保11年(1840年)の建物で、稲荷祭のときに5基の神輿を並べたため、床下の大引を約50cm間隔と密に入れて強く造られています。権殿は寛永12年(1635年)に建てられた、本殿を一回り小さくした仮殿です。

伏見稲荷大社の重要文化財の建物

建物(棟名)年代形式指定
本殿明応3年(1494年)五間社流造・檜皮葺1909年4月5日(旧国宝)。今は重要文化財
楼門天正17年(1589年)三間一戸楼門・入母屋造・檜皮葺重要文化財(2014年1月27日)
奥宮桃山時代三間社流造・檜皮葺重要文化財(2014年1月27日)
権殿寛永12年(1635年)五間社流造・檜皮葺重要文化財(2014年1月27日)
白狐社江戸時代前期一間社春日造・檜皮葺重要文化財(2014年1月27日)
御茶屋江戸時代前期入母屋造、桟瓦葺・腰廻檜皮葺重要文化財(1927年4月25日)
南廻廊元禄7年(1694年)切妻造・檜皮葺重要文化財(2014年1月27日)
北廻廊元禄7年(1694年)切妻造・檜皮葺重要文化財(2014年1月17日)
外拝殿天保11年(1840年)入母屋造・檜皮葺重要文化財(2014年1月27日)
御茶屋は寛永18年(1641年)に後水尾院から拝領した建物で、公開されていません。
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千本鳥居と奥社奉拝所

本殿の東から奥社奉拝所へ向かう参道に、朱の鳥居がすき間なく並ぶところが「千本鳥居」です。願い事が「通る」、あるいは「通った」お礼に鳥居を奉納する信仰が江戸時代に起こって広がり、今の名所をつくりました。今は約1万基の鳥居がお山の参道全体に並んでいます。

鳥居や社殿の朱は「稲荷塗」と呼ばれ、稲荷大神の力の豊かさを表す色とされます。朱の原料の丹(水銀)は、昔から木材の防腐剤として使われてきました。

千本鳥居を抜けた先の奥社奉拝所は「奥の院」とも呼ばれ、稲荷山を遥拝する場所です。奉拝所の右後ろには、石灯籠の頭を持ち上げて、思ったより軽ければ願いがかなうとする「おもかる石」があります。

稲荷大神の使い(眷属)は狐ですが、それは野山の狐ではなく目に見えない白狐(びゃっこさん)で、稲荷大神そのものが狐というわけではありません。本殿の背後の白狐社には、狐の通い口と考えられる小さな口が側面に開いています。

伏見稲荷大社の境内の並び(模式図)

伏見稲荷大社の境内の図。西の駅から東へ、楼門・本殿・千本鳥居・奥社奉拝所を経て稲荷山へ続く並び。

稲荷駅すぐの境内とお山めぐり

伏見稲荷大社は伏見区深草薮之内町68にあります。JR奈良線の稲荷駅を降りてすぐ(京都駅から約5分)、京阪本線の伏見稲荷駅からは東へ徒歩約5分、市バス南5系統の「稲荷大社前」からは東へ徒歩約7分です。12月30日〜1月6日は境内の駐車場が閉鎖されます。

境内は閉門がなく昼夜参拝でき、参拝は無料です(2026年10月時点)。稲荷山の神蹟やお塚をめぐる「お山めぐり」は一周約4km・約2時間で、いちばん高い一ノ峰は標高233mです。車いすでも奥社まで行け、エレベーターがあります。本殿をはじめ建物の中や柵の中には入れず、決められた休憩所以外での飲食(食べ歩きなど)や、ペットを連れての参拝は禁止されています。

子どもと無料で見られる京都の文化財

この項目のミニクイズ

  1. 伏見稲荷大社の「千本鳥居」。たくさんの鳥居が奉納されるようになったのは、どんな意味から?

  2. 伏見稲荷大社の楼門は、1973年(昭和48年)の解体修理で「天正17年」の墨書が見つかり、ある人物の造営という言い伝えが確かめられました。その人物は?

  3. 伏見稲荷大社の外拝殿(重要文化財)は、床下の大引を約50cm間隔と密に入れて強く造られています。その理由は?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月22日

更新日:2026年10月22日

  1. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 本殿」
  2. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 権殿」
  3. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 外拝殿」
  4. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 楼門」
  5. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 南北廻廊(南廻廊)」
  6. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 南北廻廊(北廻廊)」
  7. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 奥宮」
  8. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社 白狐社」
  9. 文化庁「国指定文化財等データベース 伏見稲荷大社御茶屋」
  10. 伏見稲荷大社「伏見稲荷大社とは」
  11. 伏見稲荷大社「よくあるご質問」
  12. 伏見稲荷大社「沿革」
  13. 伏見稲荷大社「御祭神」
  14. 伏見稲荷大社「大社マップ」
  15. 伏見稲荷大社「交通アクセス」
  16. 伏見稲荷大社「伏見稲荷大社からのお願い」
  17. 京都市観光協会「京都観光Navi 伏見稲荷大社」
  18. 京都府観光連盟「京都府観光ガイド 伏見稲荷大社」
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