よみはなせ
花脊
別の表記・呼び方花背

要点
町名は「花脊」、花背小中学校や京都バスの停留所は「花背」と書く
明治22年(1889年)に4か村が合併して村になり、昭和24年(1949年)に京都市左京区へ編入
花脊松上げは毎年8月15日の夜、花脊八桝町で行われる
出町柳駅前から京都バス32系統(広河原行き)で約90分
読み方は「はなせ」、表記は「花脊」と「花背」
花脊は「はなせ」と読みます。住所の町名は下の4つで、いずれも花背小中学校の通学区です(2025年4月時点)。
「せ」の字は、町名や左京区役所花脊出張所では「脊」、京都市立花背小中学校や京都バスの停留所(花背峠・花背山の家前・花背交流の森前など)では「背」です。明治にできた村の名前も、花背村・花脊村の両方の書き方が見られます。今は住居表示などで「花脊」が一般に使われ、読みはどちらも「はなせ」です。
英字の表記で読みを取り違えやすい停留所もあります。京都バスの「大布施」は英字で「Ofuse」と書かれていますが、長音を省いた書き方で、読みは町名と同じ「おおふせ」です。
花脊の町名と、同じ名前を含む京都バスの停留所
| 町名 | 読み | 名前を含む京都バスの停留所 |
|---|---|---|
| 花脊別所町 | はなせべっしょちょう | 別所上の町・別所中の町・別所下の町 |
| 花脊大布施町 | はなせおおふせちょう | 大布施 |
| 花脊八桝町 | はなせやますちょう | 八桝口・八桝校前・八桝橋 |
| 花脊原地町 | はなせはらちちょう | 原地中の町 |
旧花脊村の成り立ちと名前
花脊は、別所・大布施・八桝・原地新田の4か村からなる地域です。中世までは丹波国桑田郡に属し、江戸時代には山城国愛宕郡になりました。明治22年(1889年)に4か村が合併して村となり、村名は花背峠にちなんで付けられたとされます。峠の名そのものの由来は、はっきりしません。村は昭和24年(1949年)に京都市左京区に編入されました。
山あいで米があまり取れないため炭焼きが盛んで、江戸時代中ごろには炭の生産が年に千俵に達しました。明治32年(1899年)に花背峠の道が切り開かれ、昭和の初めにはバスも通るようになりました。
8月15日の花脊松上げ
花脊松上げは、毎年8月15日の夜に花脊八桝町で行われる火の行事で、京都市の無形民俗文化財です。川原に立ち並ぶおよそ千本の松明にいっせいに火がともると、男衆は火のついた松明を、高さ20メートルの燈籠木(とろぎ)の上にある大笠へ向けて投げ上げます。大笠に火が移って燃え上がると、最後はそれを引き倒して終わります。愛宕の神事として伝わり、火伏せと五穀豊穣を祈ります。
2026年は8月15日(土)の21時からで、見学は自由でした。会場は京都バス「花背交流の森前」の一帯です。夜の行事のため路線バスでは日帰りできず、自家用車か、京都バスが案内する鑑賞バスを使うことになります。
松上げは、久多では8月23日、広河原では8月24日にも行われています(2026年11月時点)。京都市内の国の重要無形民俗文化財6件には久多の花笠踊が入っていますが、松上げは入っていません。
京都バスでの行き方
花脊へは、出町柳駅前から京都バス32系統の広河原行きに乗り、鞍馬、花背峠を通って向かいます。出町柳から花背交流の森前まではおよそ90分です(2026年11月時点)。出かける前に、京都バスの時刻表で行きと帰りの時刻を確かめてください。
この項目のミニクイズ
8月15日の夜に行われる花脊の松上げで、男衆が火のついた松明を投げ上げる先にあるのは?
明治22年(1889年)に合併して花脊の村となった4か村に、入っていないのは?
出典・確認情報
内容確認日:2026年11月8日
更新日:2026年11月8日
