地名・読み方

よみろくろちょう

轆轤町

東山のふもとの細い通りの丁字路。瓦屋根の低い町家と、屋根のある小さな寺の門、門前の文字のない石標、手前に高野槇の枝

要点

  1. 「轆轤」は、回しながら器を形づくる道具「ろくろ」の漢字

  2. 寛永14年(1637年)の記録では「坂面町」、延宝2年(1674年)には「坂面轆轤町」

  3. 六道の辻は、松原通の轆轤町と新シ町の境で南へ折れる道がつくる丁字路

  4. 京阪の清水五条駅から六道珍皇寺まで歩いて約15分

読みは「ろくろちょう」

轆轤町は「ろくろちょう」と読みます。「轆轤」は、上にのせた土を回転させながら丸い焼き物を形づくる台や、重い物を引き上げる滑車など、回転を使う道具を指すことばです。車へんの字が二つ並び、ふだん漢字で書くことはほとんどないため、読むのも書くのも難しい町名です。

住所では東山区轆轤町で、京都市の通学区町名一覧でも「ろくろちょう」です。六道の辻で接する新シ町は「あたらしちょう」と読み、こちらも読み間違えやすい町名です。

京都の難読地名

松原通の六道の辻と六波羅蜜寺

轆轤町は松原通に沿った町で、大和大路通と東大路通の間にあります。六道珍皇寺の門前は「六道の辻」と呼ばれ、冥土との境と考えられてきた場所です。松原通の轆轤町と新シ町の境で南へ折れる道があり、その丁字路がこれにあたります。寺の前には大正2年(1913年)の「小野篁卿旧跡」と平成7年(1995年)の「六道の辻」の石標が立ち、どちらも所在地は轆轤町です。西の西福寺の前にも「六道之辻」の石標があります。

六波羅蜜寺も轆轤町にあり、松原通から南へ入ったところに建っています。最寄りは京阪の清水五条駅で、六道珍皇寺まで歩いて約15分、市バスなら「清水道」で降りて約5分です(2026年11月時点)。

六道まいり六波羅蜜寺の空也上人立像――口から6体の阿弥陀が出る像

町名の由来――「坂面」と「轆轤」

町名は江戸時代前期の記録までさかのぼれます。寛永14年(1637年)に京の町数と家数を調べた記録にある「坂面町」がこの町にあたり、延宝2年(1674年)の記録には建仁寺門前の「坂面轆轤町」と出てきます。「坂面(さかおもて)」は、隣の弓矢町とともに清水坂(旧五条坂)の坂下にあったことによる呼び名とされます。

「轆轤」の字が付いたわけを示す記録は確かめられません。近くの地名の六波羅には、古い地名の轆轤原(ろくろがはら)から来たという説があります。ほかに、東山のふもとの原を意味する「麓原(ろくはら)」とする説、鳥辺野へ続く葬送の地としての「髑髏原」(「髑髏」は「どくろ」)に由来するという説、六波羅蜜寺にちなむとする説があり、どれとも決められていません。轆轤町の名とこれらの説のつながりも、はっきりしません。

平氏の六波羅と鎌倉幕府の探題

鳥辺野の入口と盆の参詣

宝暦12年(1762年)刊の京都の町案内『京町鑑』は、轆轤町の北側に珍皇寺、南側に日蓮宗の妙祐寺があるとし、この地はもと鳥部野(鳥辺野)の無常所で、亡くなった人のために開けた土地なので「六道」と呼ぶと書いています。旧暦7月9日・10日には精霊を迎える人が大勢参り、迎え鐘を撞き、高野槇の枝が売られたとも記されています。今の六道珍皇寺の住所は小松町です。

鳥辺野は、化野・蓮台野と並ぶ葬送の地として知られました。六道珍皇寺は今も例年8月7日〜10日の六道まいりで、お精霊(しょらい)さんを迎える人でにぎわいます。

六道まいりあだしの化野

この項目のミニクイズ

  1. 東山区の町名「轆轤町」の読み方は?

  2. 東山区の轆轤町にあたる町は、寛永14年(1637年)の記録では何という町名で出てくる?

  3. 宝暦12年(1762年)に刊行された京都の町の案内で、轆轤町の北側にあると書かれている寺は?

出典・確認情報

内容確認日:2026年11月8日

更新日:2026年11月8日

  1. 京都市教育委員会「京都市通学区町名一覧(東山区)」
  2. コトバンク「轆轤町」(日本歴史地名大系)
  3. コトバンク「六波羅」(日本歴史地名大系)
  4. コトバンク「轆轤」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典)
  5. 京都市「都市史09 六波羅」
  6. 京都市 いしぶみデータベース「HI011 六道の辻」
  7. 京都市 いしぶみデータベース「HI012 小野篁卿旧跡」
  8. 京都市 いしぶみデータベース「HI013 六道の辻」(西福寺前)
  9. 六道珍皇寺「拝観案内」
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