地名・読み方

よみふしみじょう・ももやまちょうまさむね

伏見城と「桃山町正宗」

伏見の丘を俯瞰した挿絵。こんもりした森の丘のふもとに、塀で囲まれた大名屋敷が碁盤目に並び、斜面には桃の花が咲く。丘の下を川が流れ、手前に金箔の残る瓦のかけらと石垣の石が置かれている。

要点

  1. 伏見城は指月と木幡山の2か所に築かれた

  2. 桃山福島太夫西町の跡からは、町名の福島家ではなく佐竹氏の家紋瓦が出た

  3. 桃山町永井久太郎は、永井右近と堀久太郎の二人の名を合わせた町名

  4. 「桃山」は廃城後の跡地に群生した桃にちなむ呼び名とされ、安土桃山時代の名もこの地から

指月と木幡山の2つの伏見城

伏見城の始まりは、秀吉が文禄元年(1592年)、宇治川をのぞむ指月の丘に築き始めた隠居屋敷です。場所は今の伏見区桃山町泰長老(たいちょうろう)、観月橋団地の一帯で、翌年に秀頼が生まれたのを機に本格的な城に改められました(指月城)。

慶長元年(1596年)閏7月の大地震で指月城は倒れ、城は北東の木幡山(伏見山とも呼ばれます)に移されます。慶長2年(1597年)5月に天守や御殿ができ、秀吉は翌年8月18日にこの城で亡くなりました。慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いの前哨戦で落城すると、徳川家康が翌年から再建し、家康・秀忠・家光の3代がここで将軍宣下を受けています。元和9年(1623年)に廃城となりました。

二条城と徳川将軍の京都

大名屋敷の名が町名に残る

木幡山に城が移ると、城下の西側を中心に武家屋敷や町が整えられ、全国の大名が屋敷を構えました。廃城とともに大名屋敷も役目を終えましたが、跡地には大名の名や官職名、国名をつけた町名が数多く残り、伏見は人の名がつく町名がとても多い町です。伏見区で「桃山」で始まる町名は68あります。

秀吉が京都の町なかに築いた聚楽第のまわりにも、如水町(黒田如水)や浮田町(宇喜多秀家)のように、大名屋敷のなごりの町名があります。

伏見城跡と大名屋敷にちなむ主な町名

伏見の地図。宇治川・大手筋・主な駅を目印に、指月、伏見城跡(明治天皇陵)、模擬天守、御香宮神社と、大名屋敷にちなむ主な町名のおおよその位置を示す。
町名を置いた位置はおおよそです。

大名屋敷にちなむ伏見の主な町名

町名読みゆかりの大名名前のつくり
桃山町正宗ももやまちょうまさむね伊達政宗大名の名。ただし町名の字は「正宗」
桃山最上町ももやまもがみちょう最上義光大名の家名
桃山毛利長門東町・西町ももやまもうりながとひがしまち・にしまち毛利氏家名+国名の「長門」
桃山福島太夫北町・西町・南町ももやまふくしまだゆうきたまち など福島家(福島正則の官名は左衛門大夫)家名+官名の「大夫(太夫)」
桃山羽柴長吉東町・中町・西町ももやまはしばちょうきちひがしまち など羽柴長吉人の名。町名では「ちょうきち」と読む
桃山町永井久太郎ももやまちょうながいきゅうたろう永井右近と堀久太郎二人の名を合わせた
桃山町金森出雲ももやまちょうかなもりいづも金森出雲(屋敷の推定地)家名+国名の「出雲」
桃山町治部少丸ももやまちょうじぶしょうまる石田三成(官職は治部少輔)官職名+城の区画を表す「丸」
人名の羽柴長吉は「はしばながよし」と読む例もあります。

屋敷の跡と城下のほかの地名

城内の区画は「丸」と呼ばれ、古い絵図には「大蔵丸」(長束正家の郭)や「徳善丸」(前田玄以の郭)が見えます。模擬天守の南側にある治部池(じぶいけ)は内堀の跡で、このあたりには石田三成の屋敷があったといわれます。

町名の大名と、発掘で分かる屋敷の主が一致するとは限りません。桃山福島太夫西町の調査では佐竹氏の家紋「五本骨扇に月丸」の瓦が多く出て、常陸54万石の佐竹義宣の屋敷とみられます。豊臣期と徳川期では屋敷の主が入れ替わったこともあり、絵図と照らし合わせた研究が続いています。

伏見城下の大名にちなむ地名には、脇坂中務大輔の唐名「中書」から来たといわれる中書島もあります。一方、花街の形から名づいたと伝わる撞木町や、家康が銀座を置いた銀座町のように、城下町の暮らしから生まれた町名もあります。

しゅもくまち撞木町

廃城後に植えられた桃から「桃山」

城ができる前、この丘は伏見山や木幡山と呼ばれていました。廃城後、跡地に桃や梅の木が植えられて群生し、江戸時代中期には桃の花見でにぎわって「桃山」と呼ばれるようになったとされます。時代の名の「安土桃山時代」の桃山も、この伏見の地のことです。

本丸の跡は明治天皇陵

明治45年(1912年)7月30日に亡くなった明治天皇の伏見桃山陵は、伏見城の本丸のあたりに造られました。東には、名護屋丸の跡にあたる昭憲皇太后の伏見桃山東陵があります。城の中心部は宮内庁が管理する陵墓地で、参道のほかは立ち入れません。そのぶん大きな開発を免れ、廃城のころの様子がよく残っています。

発掘で見つかったもの

地上に城の建物は残っていませんが、発掘調査で城と大名屋敷の跡が少しずつ見えてきています。

  • 指月城:推定範囲の全域から金箔瓦。令和元年(2019年)の調査で堀の幅は30m以上と推定され、二条城の内堀(幅25m)を上回る規模でした
  • 桃山筑前台町(前田利家の屋敷と想定される地点)や桃陵町(山口駿河守の屋敷と推定):金箔瓦がまとまって出土
  • 桃山町永井久太郎:火事のあとの整地層から、焼けて黒くなった米が整理箱1箱分。おにぎりのような形のものもありました
  • 桃山紅雪町:昭和52年(1977年)に見つかった石垣の一部が桃山東小学校に移され、京都市の登録史跡になっています

伏見城の跡が見られる場所

京阪本線の伏見桃山駅や近鉄京都線の桃山御陵前駅から大手筋を東へ歩くと、御香宮神社(伏見区御香宮門前町)があります。伏見城の大手門を移したと伝わる表門(重要文化財)が立ち、境内には伏見城の金箔瓦が保存されています。明治天皇陵は伏見桃山駅から東へ約1.5kmの丘の上で、JR奈良線の桃山駅からも歩けます。参道の南側には伏見城の石垣の残石が並び、石を切り出すために開けた矢穴(やあな)の跡が見られます。陵の前へは230段の石段を上ります。

模擬天守は、昭和39年(1964年)に遊園地(のちの伏見桃山城キャッスルランド)とともに建てられたもので、本来の天守とは場所も違います。遊園地が平成15年(2003年)に閉園したあとも残され、今は京都市の伏見桃山城運動公園(桃山町大蔵)の施設として外から見られます。内部は公開されていません。北隣の伏見北堀公園は深さ約15mの堀の跡で、堀の底を歩けます。

町を歩くと、井伊掃部(いいかもん)児童公園、長岡児童公園、金森出雲児童公園、松平筑前公園など、大名の名がついた公園も見つかります。

この項目のミニクイズ

  1. 徳川家康が銀貨の鋳造所を置いたことにちなむ、伏見区の町名は?

  2. 木幡山に建てられた伏見城の本丸の跡には、今なにがある?

  3. 豊臣秀吉が文禄元年(1592年)に伏見城のもとになる隠居屋敷を築き始めた指月の丘は、今のどの町のあたり?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月18日

更新日:2026年10月18日

  1. 京都市「都市史20 伏見城」
  2. 京都市文化財保護課「伏見城跡・指月城跡 現地説明会資料(令和元年9月23日)」
  3. 京都市・京都市埋蔵文化財研究所「京都歴史散策マップ9 伏見 桃山」
  4. 京都市埋蔵文化財研究所「第214回京都市考古資料館文化財講座 伏見城の発掘調査」
  5. 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館(リーフレット京都No.199、伏見桃山城キャッスルランド跡地の伏見城北曲輪の調査)
  6. 京都市埋蔵文化財研究所「伏見城跡発掘調査現地説明会資料(2007年11月10日)」
  7. 京都市文化財保護課「京都市内の埋蔵文化財発掘調査速報 No.025 伏見城跡」
  8. 京都市教育委員会「京都市通学区町名一覧(伏見区)」
  9. 財務省 広報誌「ファイナンス」令和7年12月号「路線価でひもとく街の歴史 第70回 京都市伏見区」
  10. 京都市「都市史18 聚楽第と御土居」
  11. 京都市伏見区役所「伏見区民史跡・名所めぐり」スポット一覧
  12. 京都市伏見区役所「ふしみ昔紀行 駅ものがたり(中書島駅)」
  13. 京都市「いしぶみデータベース HU027 伏見城石垣」
  14. 京都市文化市民局「伏見桃山城運動公園、伏見北堀公園地域体育館、伏見公園 指定管理者募集要項」
  15. 京阪グループ「京都ツウのススメ 第167回 京の城下町 伏見」
  16. 京阪グループ(伏見区の山手の散策案内)
  17. コトバンク「石田三成」(「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」ほか)
  18. コトバンク「福島正則」(「改訂新版 世界大百科事典」ほか)
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