寺社・文化財

三千院と大原

杉木立の中、一面の苔の庭に建つ小さな入母屋屋根のお堂を描いた和紙コラージュ風の挿絵。お堂の中には金色の阿弥陀如来と、前かがみに坐る二体の菩薩が小さく見え、苔の間に小さな石の地蔵が並び、紅葉した楓の枝がかかっている。小さく簡略化した親子連れが庭の小道を歩いている

要点

  1. 京都バス「大原」から徒歩約10分。寺に駐車場はない

  2. 往生極楽院は1148年の簡素なお堂で、大きな三尊を納めるため天井を舟の底の形に折り上げている

  3. 三尊は像内の銘から1148年に実照が願主となって造られたと分かり、この大きさの来迎形はほかに例がない

  4. 寺地は比叡山から坂本・市中を経て明治維新の後に大原へ移り、「三千院」の名は明治4年から

最澄にさかのぼる門跡寺院

三千院は、寺伝では延暦年間(782〜806年)に最澄(伝教大師)が比叡山の東塔南谷(とうとうみなみだに)に一宇を構えたのが始まりです。円仁(慈覚大師)に引き継がれ、最雲法親王が入ってからは、平安時代後期以降、皇族が住持を務める門跡寺院になりました。

寺地は比叡山の中から近江の坂本、京都の市中へと、火災や応仁の乱などで何度も移り、円融房・梨本坊・梨本門跡・梶井宮などと呼ばれてきました。「三千院」の名は明治4年(1871年)からで、梶井御殿の持仏堂に掲げられていた霊元天皇の筆の勅額によります。今の大原に移ったのは明治維新の後です。

京都の寺社の正式名称と読み方

往生極楽院

境内の往生極楽院は、明治になって三千院に併合されたお堂です。国の指定名称は「往生極楽院阿弥陀堂」で、1897年(明治30年)12月28日に重要文化財に指定されました。平安時代後期の久安4年(1148年)の建物で、入母屋造・妻入・こけら葺の簡素なお堂です。

極楽院を建てたのは天台の浄土教家とみられる真如房上人で、平安時代の日記『吉記』にその記事があります。一方で、『往生要集』の著者・恵心僧都源信が姉の安養尼とともに寛和元年(985年)に建てたという言い伝えもあります。

三尊がお堂の広さの割に大きいため、堂内の天井は舟の底のような形に高く折り上げてあり、「舟底天井」と呼ばれます。天井には極楽浄土に舞う天女や菩薩が極彩色で描かれていますが、今は肉眼では見えにくくなっています。収蔵施設の円融蔵の展示室には、この天井が原寸大で再現され、赤外線カメラの調査をもとに当時の色がよみがえっています。

阿弥陀三尊と「大和坐り」

本尊の国の指定名称は「木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(往生極楽院阿弥陀堂安置)」です。1902年(明治35年)7月31日に指定され、2002年(平成14年)6月26日に国宝になりました。勢至菩薩の像の中に久安4年(1148年)の銘があり、この像は僧の実照が願主となって造ったことが分かっています。

中央の阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右の観音菩薩は蓮台をささげ、左の勢至菩薩は合掌しています。左右の菩薩は、ひざを軽く開いて身を前へ傾けた坐り方をしていて、これを「大和坐り」と呼びます。亡くなる人のもとへ迎えに来た、まさにその時の姿を表しています。像高は阿弥陀如来232.0cm、観音菩薩132.2cm、勢至菩薩132.7cmです。

脇侍がひざまずく来迎形の三尊は11世紀から造られてきましたが、小さな像が多く、中尊が周丈六、脇侍が半丈六という大きさの来迎形阿弥陀三尊は、ほかに残る例がありません。当時の大原では大勢で念仏を唱える融通念仏が盛んで、その信仰との関係も考えられています。

平等院鳳凰堂と極楽浄土の表現

三千院が持つ国の文化財

三千院が所有する国の文化財は、国宝1件と重要文化財10件です(建造物を含む)。金色不動堂の本尊・金色不動明王(重要文化財)は秘仏で、毎年4月の不動大祭の期間に約1か月扉が開かれます。経蔵の円融蔵に伝わる典籍・文書(3,021点)も、一括して重要文化財です。

阿弥陀三尊・阿弥陀堂のほかに三千院が所有する重要文化財

名称(指定名称)種別時代指定
木造不動明王立像(金色不動明王)彫刻平安重要文化財(2008年7月10日)
木造不動明王立像(伝円仁作)彫刻鎌倉重要文化財(1903年4月15日)
木造救世観音半跏像彫刻鎌倉(1246年)重要文化財(1955年2月2日)
四天王寺縁起残巻書跡・典籍平安(1173年)重要文化財(1907年5月27日)
古文孝経書跡・典籍鎌倉(1277年)重要文化財(1907年5月27日)
慈覚大師伝書跡・典籍室町重要文化財(1969年6月20日)
性空上人伝記遺続集書跡・典籍鎌倉重要文化財(1969年6月20日)
帝王系図古文書室町重要文化財(1969年6月20日)
三千院円融蔵典籍文書類書跡・典籍平安〜江戸重要文化財(1988年6月6日)
1950年より前の日付は旧国宝として指定された日で、今は重要文化財の指定日として扱われます。「金色不動明王」は寺での呼び名です。
国宝・重要文化財・登録有形文化財・市指定の違い

大原の里と来迎院・勝林院・寂光院

大原は、高野川に沿う若狭街道(鯖街道)を京都の市中から北へ約12km進んだ、比叡山のふもとの小さな盆地です。三千院の北側を律川(りつせん)、南側を呂川(りょせん)が流れ、名は声明(しょうみょう、仏教の歌)の音律「呂律」にちなむといわれます。

三千院の奥(東)の来迎院は、仁寿年間(851〜854年)に円仁が声明の道場として開いたと伝わり、平安時代末期に良忍が再興して天台声明の根本道場になりました。北隣の勝林院は長和2年(1013年)に寂源が開いた寺で、文治2年(1186年)に法然が招かれて論議した「大原問答」の舞台です。梵鐘と石造の宝篋印塔は重要文化財です。

高野川の西にある寂光院は、平家が滅んだあと建礼門院が入って生涯を送った天台宗の尼寺です。建礼門院に仕え、のちに寂光院に入った阿波内侍(あわのないし)は、柴を売り歩いた「大原女」のモデルとされます。昼と夜の気温の差が大きい大原では質のよい赤シソがとれ、しば漬が名産です。ナスと赤シソを塩だけで漬け込み、乳酸発酵させたものは「生しば漬」と呼ばれます。「紫葉漬」とも書き、名付け親は建礼門院だといいます。

大原の位置と寺の並び(模式図)

上を北とした2つの枠の図。左の枠は出町柳駅・国際会館駅・八瀬比叡山口駅から大原へ向かう京都バス17・19系統の道筋、右の枠は大原バス停の東の三千院と、その北の勝林院、東の来迎院、高野川の西の寂光院の位置を示す。

大原への京都バスと三千院の拝観時間

三千院は左京区大原来迎院町540にあり、京都バス「大原」から徒歩約10分です。寺に駐車場はなく、大原は京都バスの均一運賃区間の外です。国宝の阿弥陀三尊は往生極楽院にまつられ、拝観時間内はいつでも拝めます。

  • 地下鉄烏丸線の国際会館駅から京都バス19系統で約22分(京都駅から国際会館駅までは地下鉄で約20分)
  • 出町柳駅から京都バス17系統で約30分。JR京都駅からは17系統で約60分。叡山電車の八瀬比叡山口駅からは19系統で約15分
  • 拝観時間:9時〜17時(11月は8時45分〜16時45分、12月〜2月は9時〜16時30分)、無休(2026年10月時点)
  • 拝観料:一般700円、中学生・高校生400円、小学生150円
  • 寂光院・勝林院へは、どちらも「大原」から徒歩約15分

この項目のミニクイズ

  1. 三千院の往生極楽院の国宝・阿弥陀三尊で、向かって右の観音菩薩が両手でささげ持っているものは?

  2. 三千院の往生極楽院では、お堂に比べて大きな阿弥陀三尊を納めるため、天井に工夫がされています。その天井の呼び名は?

  3. 三千院の南と北を流れる「呂川(りょせん)」と「律川(りつせん)」。この川の名は何にちなむといわれる?

出典・確認情報

内容確認日:2026年10月22日

更新日:2026年10月22日

  1. 文化庁「国指定文化財等データベース 木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(往生極楽院阿弥陀堂安置)」
  2. 文化庁「国指定文化財等データベース 往生極楽院阿弥陀堂」
  3. 文化庁「国指定文化財等データベース 木造不動明王立像(三千院)」
  4. 文化庁「国指定文化財等データベース 三千院円融蔵典籍文書類」
  5. 文化庁「国指定文化財等データベース」(国宝・重要文化財〈美術工芸品〉、所有者「三千院」で検索)
  6. 文化庁「国指定文化財等データベース 勝林院宝篋印塔」
  7. 文化庁「国指定文化財等データベース 梵鐘(勝林院)」
  8. 三千院「三千院のご案内」
  9. 三千院「拝観時間・料金」
  10. 三千院「文化財」
  11. 三千院「境内」
  12. 三千院「アクセス」
  13. 三千院「京都洛北ガイド」
  14. 京都市観光協会「京都観光Navi 三千院」
  15. 京都市観光協会「京都観光Navi 駒札 三千院」
  16. 京都市観光協会「京都観光Navi 駒札 来迎院」
  17. 京都市観光協会「京都観光Navi 勝林院」
  18. 京都市観光協会「京都観光Navi 駒札 勝林院」
  19. 京都市観光協会「京都観光Navi 清香山 玉泉寺 寂光院」
  20. 寂光院「歴史」
  21. 農林水産省「うちの郷土料理 京漬物 京都府」
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