泉涌寺――皇室の菩提寺『御寺(みてら)』と楊貴妃観音
別の表記・呼び方泉涌寺・御寺・みてら・月輪陵・楊貴妃観音・泉涌寺 御座所・泉涌寺 仏殿・泉涌寺道

要点
所在地は東山区泉涌寺山内町27。JR・京阪「東福寺」駅から徒歩20分
月輪陵・後月輪陵には四条天皇と、後水尾天皇から仁孝天皇までの計14代の天皇陵がある
仏殿は寛文9年(1669年)の完成で、1966年に重要文化財
伽藍拝観は大人500円・小中学生300円(2026年10月時点)
寺の始まりと、名の由来になった清水
泉涌寺の始まりは、斉衡2年(855年)に左大臣藤原緒嗣(おつぐ)が僧の神修に山荘を与えて寺とした仙遊寺と伝わります。別の説では、天長年間(824〜834年)に空海が結んだ草庵が起こりとされます。
建保6年(1218年)、宇都宮信房がこの地を俊芿(しゅんじょう、のちの月輪大師〈がちりんだいし〉)に寄進しました。宋で12年学んだ俊芿が宋の様式で伽藍を造ったとき、境内の一角から清水が湧いたことから、寺の名を泉涌寺に改めたと伝わります。改名を建保6年とする説明と、伽藍が完成した嘉禄2年(1226年)とする説明があります。泉を覆う泉涌水屋形は仏殿のそばにあり、水は今も湧き続けているといわれます。
なぜ「御寺(みてら)」と呼ばれる?
仁治3年(1242年)1月、12歳で亡くなった四条天皇の葬儀が泉涌寺で営まれ、陵も境内に造られました。応安7年(1374年)の後光厳院からは9代の天皇の火葬所となり、江戸時代には後陽成天皇から孝明天皇までの天皇・皇后の葬儀が営まれ、後水尾天皇以降の陵が境内に造られました。
こうして皇室の菩提所(御香華院〈ごこうげいん〉)として長く信仰を集めたことが、「御寺」と呼ばれる理由です。霊明殿には歴代天皇・皇后の尊牌(位牌)がまつられ、命日の法要などには宮内庁から代拝があります。
月輪陵――宮内庁が管理する天皇陵
霊明殿の東には、宮内庁が管理する月輪陵(つきのわのみささぎ)と後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)があります。四条天皇と、後水尾天皇から後桃園天皇までの11代が月輪陵、光格天皇と仁孝天皇が後月輪陵で、陵の形はどれも九重塔です。背後の山腹には孝明天皇の後月輪東山陵があり、後堀河天皇の観音寺陵も今熊野観音寺の東南にあります。
陵は明治11年(1878年)に宮内省の所管になりました。今も原則として年間を通して参拝でき、時間は泉涌寺の開閉時間に準じます。
仏殿・舎利殿・霊明殿・御座所――境内の建物
総門から参道を上ると、伽藍のいちばん高い所に大門(重要文化財)が建ち、そこから下る参道の正面に仏殿があります。仏殿は徳川家綱による再建で、寛文9年(1669年)に完成しました(寛文8年〈1668年〉とする説明もあります)。裳階(もこし)の付いた一重の入母屋造の禅宗様の建物で、大工は中井主水(正知)、絵は狩野探幽です。運慶作と伝わる阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊は、宋の寺院で流行した「三世仏」の形式とされます。
仏殿の東の舎利殿は、慶長年間の御所の建物を移したとされ、釈迦の歯と伝わる仏牙舎利をまつります。その奥の霊明殿は、明治15年(1882年)の火災の後、明治17年(1884年)に宮内省が再建しました。北東に続く御座所は、京都御所の皇后宮の御里御殿(おさとごてん、文化15年〈1818年〉造営)を移した建物で、今も皇族が陵に参拝するときの休所です。
泉涌寺の参道と境内(模式図)
泉涌寺の主な建物と像
| 名称 | 年代 | 文化財の種類 | 公開 |
|---|---|---|---|
| 大門 | 桃山時代(慶長年間の作とみられる) | 重要文化財(1966年) | 伽藍拝観 |
| 仏殿 | 寛文9年(1669年) | 重要文化財(1966年) | 伽藍拝観 |
| 木造観音菩薩坐像(楊貴妃観音) | 南宋時代 | 重要文化財(1997年) | 伽藍拝観(楊貴妃観音堂) |
| 舎利殿 | 慶長年間の御所の建物を移したとされる | — | 伽藍拝観の範囲(堂内は非公開) |
| 霊明殿 | 明治17年(1884年)再建 | — | 非公開 |
| 御座所 | 文化15年(1818年)造営、明治に移築 | — | 特別拝観(御座所庭園・海会堂とともに) |
| 開山塔及び開山堂 | 開山塔は鎌倉時代前期、開山堂は寛文頃 | 重要文化財(1966年) | 非公開 |
| 月輪陵・後月輪陵 | 仁治3年(1242年)の四条天皇陵から | 宮内庁が管理する陵墓 | 参拝できる |
楊貴妃観音――南宋で作られたとみられる像
大門を入って左手奥の楊貴妃観音堂にまつられる聖観音は、国の指定名称を「木造観音菩薩坐像」といい、1997年(平成9年)に重要文化財になりました。等身大の坐像で、日本の木彫にはない白く堅い材を使い、宝冠や持物は当初のまま、彩色もよく残ります。顔立ちや衣の表現から、中国・南宋時代の作とみられています。
俊芿の弟子・湛海(たんかい)が南宋から持ち帰ったと伝わり、寛喜2年(1230年)の請来とする説明と、建長7年(1255年)に湛海が帰国したときとする説明があります。美しい像であることから、唐の玄宗皇帝が亡くなった楊貴妃をしのんで、その姿に似せて造らせたという言い伝えがあり、「楊貴妃観音」の呼び名は江戸時代の初めごろからとされます。
塔頭と、紅葉の時期の公開
参道の両側などには塔頭(山内寺院)が並びます。後白河上皇ゆかりの今熊野観音寺、本堂(正保3年〈1646年〉頃)が重要文化財の別院・雲龍院、運慶・湛慶父子の合作と伝わる丈六の釈迦如来立像(重要文化財)をまつる戒光寺などです。
紅葉の時期の公開は年によって変わります。2025年は11月3日から12月29日までの毎週月曜日に楊貴妃観音堂の内陣・仏殿・御座所を僧侶の案内で回る早朝特別拝観(予約制、3,000円)があり、11月29日・30日には重森三玲作庭の「仙山庭」が公開されました。2026年は楊貴妃観音堂の内陣で「秋の限定写経」が11月8日まで(予約制)あり、雲龍院では11月14日〜30日に秋の特別拝観が予定されています。
今どこで見られる?/行き方
泉涌寺は東山区泉涌寺山内町27にあり、JR奈良線・京阪の東福寺駅から徒歩20分、市バス「泉涌寺道」から徒歩15分です。楊貴妃観音と仏殿は伽藍拝観で、御座所は特別拝観で見られます。
- 市バス: 京都駅(烏丸口)から208系統、祇園四条・四条河原町から207系統で「泉涌寺道」下車
- 参拝受付: 3月〜11月は9時〜16時30分、12月〜2月は9時〜16時。心照殿(宝物館)は毎月第4月曜日が休館
- 伽藍拝観(大門・仏殿・楊貴妃観音堂・舎利殿・心照殿など): 大人500円、小中学生300円
- 特別拝観(御座所・御座所庭園・海会堂): 中学生以上500円。小学生以下は同伴者がいれば無料。皇室の参拝や法要で予告なく中止になることがある
- 建物の中は撮影禁止
この項目のミニクイズ
東山区の泉涌寺は「御寺(みてら)」と呼ばれます。その理由として正しいのは?
泉涌寺の「楊貴妃観音」(重要文化財)は、いつ、どこで作られた像とみられている?
泉涌寺の御座所は、明治時代に別の場所から移された建物です。もとは何だった?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月28日
更新日:2026年10月28日
- 泉涌寺「泉涌寺について」
- 泉涌寺「泉涌寺と皇室」(略年表を含む)
- 泉涌寺「文化財・施設」
- 泉涌寺「山内寺院」
- 泉涌寺「年中行事」
- 泉涌寺「拝観ご案内」
- 泉涌寺「よくあるご質問」
- 泉涌寺「楊貴妃観音堂 秋の限定写経 開催」(2026年9月17日)
- 泉涌寺「11月29日(土)30日(日)重森三玲作庭「仙山庭」特別公開」(2025年11月26日)
- 宮内庁「四條天皇 月輪陵」
- 宮内庁「孝明天皇 後月輪東山陵」
- 宮内庁「後堀河天皇 觀音寺陵」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 泉涌寺仏殿」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 泉涌寺大門」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 泉涌寺開山塔及び開山堂」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 雲竜院本堂」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 木造観音菩薩坐像(泉涌寺)」
- 京都市観光協会「京都観光Navi 泉涌寺」
- 京都市観光協会「京都観光Navi 皇室の菩提寺・御寺(みてら)泉涌寺 秋の早朝特別拝観を開催」(2025年)
- 京都市観光協会「京都観光Navi 泉涌寺別院 雲龍院(秋の特別拝観&ライトアップ)」
