京都五山とは――南禅寺は「別格」、天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺
別の表記・呼び方京都五山・五山之上・五山十刹・鎌倉五山

要点
至徳3年(1386年)の順位は、五山之上・南禅寺、第一・天龍寺、第二・相国寺、第三・建仁寺、第四・東福寺、第五・万寿寺
鎌倉五山は建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺で、京都と鎌倉にそれぞれ第一〜第五位を置いた
南禅寺が五山の上に上げられたのは、足利義満が建てた相国寺を五山に入れるため
8月16日の京都五山送り火は、山に5つの送り火をともすお盆の行事で、禅寺の五山とは別のもの
京都五山とは――中国の制度にならった禅寺の格付け
五山は、中国・南宋の時代に、国が特に保護して管理する最上位の禅寺5か寺を官寺と定めたことに始まる制度で、日本の五山はそれにならったものです。十刹(じっせつ)・諸山(しょざん)の上に立つ禅寺の最高の格で、住持(住職)は原則として幕府が任命しました。
五山には京都五山と鎌倉五山があります。至徳3年(1386年)に定まった順位では、南禅寺を別格の「五山之上」とし、京都は天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺、鎌倉は建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺を、それぞれ第一位から第五位としました。
8月16日の夜の「京都五山送り火」は、東山の大文字や嵯峨の鳥居形など5つの送り火で、お盆の精霊を送る行事です。禅寺の京都五山とは別のものです。
順位はどう変わった?――建武から至徳3年まで
五山の制度は、鎌倉時代の末に鎌倉の大きな禅寺を五山とすることから始まったとされます。ただ、初めのころにどの寺が五山だったかには、はっきりしない点があります。
鎌倉幕府が滅んだあとの建武の新政のころ、後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一とし、大徳寺を同格に置きました。建仁寺と東福寺もこのころ五山に入っています。室町幕府はその後、京都と鎌倉の寺を合わせて、第一を建長寺・南禅寺、第二を円覚寺・天龍寺、第三を寿福寺、第四を建仁寺、第五を東福寺と定めました。この改定は暦応4年(1341年)とも、康永元年(1342年)ともいわれます。万寿寺は延文3年(1358年)に五山に加わったとされます。
3代将軍の足利義満は、永徳2年(1382年)に花の御所の東隣で相国寺の建立を始めると、これを五山に入れようとしました。義堂周信(ぎどうしゅうしん)の意見を入れて、至徳3年に南禅寺を五山の上に上げ、京都と鎌倉の五山をそれぞれ第一位から第五位に並べ直しました。この順位が、のちの五山の基準になりました。相国寺の伽藍がそろったのは、その6年後の明徳3年(1392年)です。
6つの寺の今――順位・場所・公開
南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺は、今はそれぞれ臨済宗の、寺の名を冠した派の大本山です。京都市内での場所は、天龍寺だけが西の嵯峨嵐山にあり、相国寺は京都御所の北、南禅寺・建仁寺・東福寺・万寿寺は鴨川の東にあります。
京都五山の順位と6寺の今
| 順位(1386年) | 寺 | 所在地 | 始まり | 今の公開 |
|---|---|---|---|---|
| 五山之上 | 南禅寺 | 左京区南禅寺福地町 | 正応4年(1291年) | 方丈庭園・三門・南禅院が有料(方丈庭園・三門は一般600円、小中学生400円) |
| 第一位 | 天龍寺 | 右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町 | 暦応2年(1339年) | 庭園が有料(高校生以上500円、小中学生300円、未就学児無料) |
| 第二位 | 相国寺 | 上京区今出川通烏丸東入 | 永徳2年(1382年)に着工、明徳3年(1392年)に完成 | 法堂・方丈・開山堂は特別拝観のときだけ(2026年秋は9月26日〜12月15日、大人1,000円) |
| 第三位 | 建仁寺 | 東山区大和大路通四条下る小松町 | 建仁2年(1202年) | 有料(一般800円、小・中・高校生500円。2027年1月1日から一般1,000円) |
| 第四位 | 東福寺 | 東山区本町15丁目 | 嘉禎2年(1236年)から造営 | 通天橋・開山堂と本坊庭園が有料 |
| 第五位 | 万寿寺 | 東山区(東福寺の北) | 永長2年(1097年)の六条御堂が前身 | 東福寺の塔頭。公開の有無は寺に確認 |
万寿寺の今――六条御堂から東福寺の北へ
万寿寺の始まりは、白河上皇が永長2年(1097年)、亡くなった皇女・郁芳門院(いくほうもんいん)の追善のために、その住まいだった六条内裏を寺に改めた六条御堂です。正嘉年間(1257〜1259年)に、東福寺の円爾(えんに。聖一国師)に帰依した僧によって禅寺となり、万寿禅寺と改められました。
もとの場所は今の下京区で、平安京の六条大路と六条坊門小路の間、東洞院大路と高倉小路の間にあたり、発掘調査では万寿禅寺の庭の池の跡が見つかっています。永享6年(1434年)の大火で焼けたあとも再建されましたが、天正19年(1591年)に東福寺の北側へ移りました。
今の万寿寺は、JR・京阪の東福寺駅の東側にあり、東福寺の塔頭の一つです。東福寺の境内にある重要文化財の愛染堂(指定名は三聖寺愛染堂)は、昭和12年(1937年)に万寿寺から移されたとされます。
五山文学と五山版――禅僧が広めた文化
五山の禅僧は、文化や外交の面でも幕府に助言する立場にありました。漢詩や漢文でつづる五山文学は彼らの手で完成の域に達し、のちに江戸時代の儒学が育つ下地にもなりました。寺々では書物の刊行も盛んで、こうして出された本を五山版と呼びます。
今どこで見られる?――6寺への行き方
天龍寺は嵯峨嵐山にあり、ほかの5寺から西へ大きく離れています。建仁寺の最寄りの京阪祇園四条駅と、東福寺駅は京阪本線で約5分なので、建仁寺と東福寺・万寿寺は同じ日に回れます。
京都五山の6寺の位置
- 南禅寺: 地下鉄東西線の蹴上駅から徒歩10分
- 天龍寺: 嵐電の嵐山駅の前。JR嵯峨嵐山駅から徒歩13分、阪急嵐山駅から徒歩15分
- 相国寺: 地下鉄烏丸線の今出川駅で下車。京都御所の今出川御門の前の通りを北へ
- 建仁寺: 京阪の祇園四条駅から徒歩7分
- 東福寺・万寿寺: JR奈良線・京阪本線の東福寺駅から東福寺まで徒歩約10分
この項目のミニクイズ
京都五山の第五位・万寿寺のもとになったのは、白河上皇が皇女の追善のために寺に改めた何?
出典・確認情報
内容確認日:2026年10月29日
更新日:2026年10月29日
- コトバンク「京都五山」(改訂新版 世界大百科事典、日本大百科全書、山川 日本史小辞典ほか)
- コトバンク「五山」(日本大百科全書、精選版 日本国語大辞典、山川 日本史小辞典ほか)
- コトバンク「万寿寺」(日本大百科全書、精選版 日本国語大辞典、山川 日本史小辞典ほか)
- 国立新美術館 アートコモンズ「京都五山 禅の文化展」(九州国立博物館、2008年)
- 京都市埋蔵文化財研究所「平安京左京六条四坊三町(旧万寿禅寺)跡 現地説明会資料」(2007年2月3日)
- 南禅寺「南禅寺の歴史」
- 南禅寺「拝観のご案内」
- 南禅寺「アクセス」
- 天龍寺「天龍寺について」
- 天龍寺「参拝・交通案内」
- 相国寺「相国寺について」
- 相国寺「アクセス」
- 相国寺「相国寺 秋の特別拝観のご案内」(2026年)
- 大本山 建仁寺「建仁寺を知る」
- 大本山 建仁寺「アクセス」
- 大本山 建仁寺「[重要] 拝観料改定のお知らせ」
- 東福寺「縁起」
- 東福寺「拝観案内」
- 東福寺「アクセス」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 三聖寺愛染堂」
- 京都市観光協会 京都観光Navi「京都五山送り火」
- コトバンク「五山十刹」(日本大百科全書)
